中臣鎌足【なかとみのかまたり】(614 〜 669年) / Copyright (c) 2009 夕陽@魔女ノ安息地 All rights reserved.


政治力のある鎌足さん。実は歌も残しています。
万葉集に残る二つのお歌。そこからも彼の「曲者」な性格を偲ぶことができます。

中臣鎌足考察番外編
鎌足さんの「ピカチュウ☆ゲットだぜ!」?


は〜い、石投げないで下さ〜い。夕陽さんは至って真面目で〜す(笑)。
彼の二つ目の歌をご覧になれば、飛鳥時代にはポケモンがいたんじゃないかと思えてくるはずです。

鎌足さん作の歌は万葉集に二つ記載されています。
一つ目は、正妻と言われている鏡女王(かがみのおおきみ)とのやりとりです。
鏡女王は額田女王(ぬかたのおおきみ)の父方の叔母と思われる女性で、
一説には額田女王の姉とも言われます。
まずは鏡女王から、こんなお歌が。
   玉櫛笥(たまくしげ) 覆ふをやすみ 明けていなば  君が名はあれど 我が名し惜しも
玉櫛笥とは玉(ぎょく、つまり宝石とか)+櫛笥(櫛など入れる箱)で、上等な化粧箱の意味です。
これは「覆ふ」にかかる枕詞なのですが、高貴な女性である鏡女王には相応しい言葉ですね。
次に、「覆ふをやすみ」の"やすみ"に"易み"と当てれば「覆う(隠す、閉める)のは容易いこと」となります。
「明けていなば」は「夜が明けてから去るのならば」です。そして「名」は評判のこと。
まとめて意訳すると、こんな感じですね。
   私とあなたの関係を隠すのは化粧箱の蓋を閉めるように容易いことだと言って、
   夜が明けてから出て行くなんて、どういうつもりですか?
   世間ではあなたの評判は上がるかもしれませんが、私の名が傷つきます。

……あの、鎌足さん。あんた、めっちゃ嫌われてますやん!
わざわざ鏡女王との関係を公然とさせるような態度をとった鎌足に対する怨み節ですね、これは。
好意的に考えれば恥じらいの当てつけなんでしょうが、そう解釈するのは難しいような気がします。
おそらく、この時の二人は共寝するようになってまだ数回目、あるいは初めてかもしれません。
元々、葛城皇子(中大兄皇子)の妃の一人だった鏡女王にとって、
臣下である鎌足との婚姻がどのような意味を持ち、彼女はどんな気持ちになっていたのか。
この皮肉な歌がすべてを表していますね。

これに対して、鎌足さんが返したお歌。
   玉櫛笥 みもろの山の さなかづら さ寝ずは遂に 有りかつましじ
「みもろの山」とは「三諸の山」で、現在の奈良県桜井市にある三輪山のことだそうです。
(※ 最初、奈良県生駒郡斑鳩町の「三室山(みむろざん)」と書きましたが、間違いです。失礼しました)
三輪山は古代から自然崇拝の対象で、神が鎮座する山として信仰を集めて来ました。
「さなかづら」は「実葛(さねかずら)」という蔓性の植物で、絡み合う蔓が男女の仲に喩えられるそうな。
「さなかづら」の"さな"は「さ寝ずは遂に」の"さ寝"への掛け詞と思われますが、
わざわざ葛城皇子を思い起こさせる「葛」を読んだことからして、葛城皇子を三輪山の神に喩えているのでは?
鎌足と鏡女王が婚姻を結ぶよう、葛城皇子から指示があった事を示唆しているようです。
「さ寝ず」は「同衾せずに」という意味で、それが「有りかつましじ」つまり「有り得ない」と言っています。
あー、これはまとめて意訳したくないです。でも、やります。
   三輪山の神のように貴い存在である葛城皇子の意向で、私たちは婚姻を結ぶことになったのです。
   それを拒否することは有り得ないことなのですよ。

何なの、この冷たい返歌!(怖)
鏡女王の投げつけた歌が歌なのでお似合いですが、何とも事務的な歌ですね。
鎌足さんにしても、乙巳の変の前から共に苦労してきた愛妻である
車持与志古郎女(くるまもちのよしこのいらつめ)に接するような態度はとれませんわな。
二人の仲を公にすることは、鎌足さんが葛城皇子から特別扱いされていることを示すために
必須の行動だったわけですから、「文句は葛城皇子にお言いなさい」という意味も含まれているのかも。

もう一つのお歌は、やはり葛城皇子の妻の一人と婚姻を結んだ時の歌です。
妻と言っても、鏡女王のように葛城皇子と正式な婚姻関係があったわけではなく、こちらは采女(うねめ)。
采女というのは、地方豪族が大王に対する忠誠を示すために人質同然に都へ送った女性のことで、
美人と言うか、とにかくいい女だったみたいですね。彼女達は妻と言うより、大王の妾扱いです。
例えば、同じ葛城皇子の采女で、伊賀宅子郎女(いがのやかこのいらつめ)は大友皇子を産んでいます。
そんな大王にしか触れることが許されないはずの采女と、鎌足さんは何故か婚姻を結ぶことに!
これもまた、鎌足さんが葛城皇子から特別扱いされていることをアピールする行動ですね。
で、その歌がこれ。
   吾はもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすといふ 安見児得たり
この采女さん、安見児(やすみこ)と呼ばれていたようです。
(草壁皇子も唯一残した歌の中で、ある采女のことを大名児と呼んでいますので、
「なんとかの郎女」という名前以外に采女達が付けられた愛称、あるいは仕事名だったのでしょう。)
鎌足さんが単に采女を下賜されたことを喜んでいるのか、たくさんの男から想いを寄せられる安見児という
特定の采女を得たことに得意になっているのか。おそらく後者ですね。
この歌に詳しい解説は要らないでしょう。
   葛城皇子の要望で、宮中で評判の采女、安見児と私は婚姻関係を結びました。
以上です。
私がこの歌を知ったのは中学生の時だったのですが、その時の感想は、
「何なのさ、この『ポケモン☆ゲットだぜ!』みたいな歌は!?」でした。
いや、ちょうどポケモンが流行っていた時期でしてね。
まさに、「安見児☆ゲットだぜ!」って感じの歌じゃないですか?
この時はまさか、こんな幼稚園児みたいな歌を詠んだのが、内臣(うちつおみ)なんていう大層な職についていて、
陰謀の渦をその頭脳一つで作り出した、藤原氏の開祖だなんて思いもしませんでしたねぇ。
この歌は安見児本人に贈られたわけではないので、彼女からの返歌はありません。
ですが、安見児さんには是非とも「ビッ、ビカヂュウ〜(怒)」と言って欲しいです。

まとめ。鎌足さんは無駄のない曲者男です。
彼に情緒感なんてものを期待してはいけません。以上!!

(中臣鎌足考察番外編 鎌足さんの「ピカチュウ☆ゲットだぜ!」? 終わり) 2009.5.23)
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