飛鳥紀行(2007.11.14)C 幻の嶋の宮


しんみりとした気持ちを胸に岡寺を辞した夕陽さんを待ち受けていたのは、
岡寺を下る急勾配!(当たり前だよ、さっき登って来たんだからさ)
これがまた足に直撃。帰りたい、今すぐバスに乗って帰りたい……
ですが、まだ嶋の宮跡に行っていないのです。帰るわけには行きません。
自分を叱咤激励しつつ、てくてくと歩きます。

嶋の宮というのは、草壁皇子が日嗣皇子(皇太子)時代に住んでいた屋敷です。
岡寺に続く第二の草壁聖地(?)と言うべき所。これが行かずにいられるか!
私は大津も一時期ここに住んでいたと仮定していますが、実際のところは定かではありません。
母を失い、次いで庇護者だった祖父・葛城皇子を失い、そして姉とも生き別れとなった大津。
飛鳥で頼れる身内(同族)と言えば鵜野讃良と草壁しかいません。
嶋の宮がいつできたかがわからないので、ここに大津がいたとは言い切れませんが、
大津が語訳田(おさだ)に館を構えるまでは、草壁と一緒に住んでいたというのが自然です
何故なら、草壁も独りだったから。
母である鵜野讃良は皇后になりましたので、政治が忙しくて宮中にずっと詰めっ放し。
彼女に与えられた館にはほとんど帰らず、そこには草壁が住み、更に大津が同居していたのでしょう。
大伯皇女も伊勢に下る前は一緒にいたのだと思います。
束の間のきょうだい三人水入らず。いろいろと楽しそうだな〜、話が書けそう。
勝手な妄想ですが、私は草壁と大伯は天敵関係であったと信じてやみません。(←おいおい)
お互いに大津とは大の仲良しなのに(笑)

ついでに近くにある石舞台古墳にも詣でましょうか。あれは蘇我馬子のお墓らしいですね。
嶋の宮も元々は馬子の館があったらしく、それを宝女王のママ・吉備女王が受け継いだらしい。
吉備女王から見れば、馬子は大叔父(祖母の兄)に当たるようです。
大海人が鵜野讃良や草壁と共に吉野へ向かった際に、飛鳥で一泊したのもこの土地と言われています。
義淵が草壁に会いに来たりしなかったのかしら?? 久々の幼馴染再会。
そんな暢気な雰囲気じゃなかったでしょうけれどね。


そんな予備知識を頭に、期待を胸に抱いていた私を待ち受けていたのは、またもや急勾配!ではありません。
でも、急勾配の方がどんな有り難かったことか……
だって、なかったんです! 嶋の宮の跡形が一つも無い!
うろうろ探し回っても無い! そんなバカな!!
ちょっと顔面蒼白気味で食べ物屋さんに駆け込んで、訊いてみる。

 夕陽さん「あのぉ、草壁皇子の嶋の宮跡はこの辺りではなかったでしょうか?」
 売店のお姉さん「嶋の宮? ああ、あそこ(と指差したのは大型バス)」
 夕陽さん「へっ? 駐車場ですか?」
 売店のお姉さん「あの下。もう埋めてから、だいぶ経つよ」


ガーン、ゴーン、グワァ〜〜ン! 何だとぅ!!
ショックが大きすぎて、その場で固まってしまい、お姉さんから哀れみの視線を受けました。
うっうっ、ガイドブックにはちゃんと嶋の宮跡って書いてあるのに……古すぎたのでしょうか?
あまりにもショックで、石舞台古墳なんぞ、見る気が起こりませんでした(←おいおい)
それでも嶋の宮跡周囲の印象だけはチェック。
小高い山に囲まれた平地をめいいっぱい活用して、屋敷を建てていたようです。
飛鳥浄御ヶ原跡や飛鳥寺の辺りほど広くはありませんが、飛鳥では希少な平地でした。
見晴らしはすっごく良さそうだし、川も近いので遊びに行きやすいし、楽しそう!(←何がだ) 
それでもって、宮殿に出向くのにそれほど遠くない場所なので、かなりの一級地と見ました。
あ、一級地なのは当たり前か。馬子や草壁の館があったくらいなんだから。


てくてく歩いて飛鳥駅方面へ。帰路には見るものがたくさんあります。
まずは宝女王が二回目の大王をやっていた時代の宮殿・川原宮跡を目指し、飛鳥川沿いを歩く。

今も昔も変わらない飛鳥川、かどうかは知りませんが、自然のまんまという雰囲気でした。
途中、川に入って遊ぶ少年達を見つけました。
もしかしたら
草壁や大津が飛鳥川へ来て、遊ぶこともあったかもしれませんね。
時にはお供(舎人)をたくさん連れて、時には館を抜け出して馬と一緒に。
まだ10代前半の少年時代。悪戯心満載だったんだろうなぁvv
馬を休ませている時に、大津が草壁に水をバシャーっとかけて、草壁も負けじとバシャーっと!
軽く取っ組み合いしちゃったりして。あー、楽しそう。見に行きたいよー。
濡れ鼠になって帰って来た二人に、運悪く珍しく帰って来た鵜野讃良さまの雷が!
……楽しい、壮絶に楽しい☆ 思いっきり怒られて欲しいです。

その後、川原寺を見て「ここも甘樫丘に近いなあ」という感想しか持てず、足早に去る。
と、ここで目の前に素敵な看板が現れる!

石舞台古墳へ行く皆さん、必見ですよ。これより石舞台に向けては、コンビニはないのです!
だからお買い物はこちらで、ということですかね(笑) ここいう看板大好きです。
看板の絵は上から順に、石舞台古墳、亀石、猿石でしょう。うーん、このセンスが好き☆


そして、今回のもう一つ絶対行きたかった目的地、天武・持統陵に到着。
(そこまで道のりに亀石があったはずなのですが、明日香小学校の方ばかり見ていた私は、
 スカッと見落としたらしいです。亀石に背後から「アホ〜」と言われていた気がします)
気を取り直して、天武・持統陵です。

一見普通の天皇陵です。こういうのが京都にもよくあります。
ですが、次の写真を御覧下さい。

上手く写真が撮れなかったのですが、とにかく柿だらけでした。
明日香村のあちこちにも柿と蜜柑の無人販売がたくさんあって、正に飛鳥は
柿ワールド
しかし、お二人はお墓が柿畑になってどのように感じているのでしょうか?
きっと万葉人の大らかさで、「あらあらま」と微笑んでおられるのではないでしょうか。
写真をじっと見ていると、木にたわわに実った柿に手を伸ばすお二人の姿が見えてくるような気がしませんか?(←幻だよ)
お陰様で(?)
大海人皇子一家は柿好きに違いない!という妄想に辿り着きました。
大海人も鵜野讃良も毎日モシャモシャと柿を召し上がっていたことでしょう。
骨肉を争うドロドロとした時代だったからこそ、そんな微笑ましいご一家の姿があってほしいです。

その後、鬼の俎板&雪隠、吉備姫王(吉備女王のこと)のお墓に猿石を見に行ったり。
でも、石には魅力を感じず。どうも私は山とか寺とか、大きなものが好きみたいです。
そんなこんなで飛鳥紀行はこれでオシマイ。妄想万々歳!(笑)
長らくのお付き合い有難うございました。

(終しまい)
Copyright (c) 2007 夕陽 All rights reserved.