平泉・花巻ふらふら探訪(2014.11.15-16)

きっかけはごくごく些細なことでした。

・仕事に疲れた。現実逃避がしたい。ふらっと旅行に行きたい。
・某通販サイトの期限切れ間近なポイントを使って、梓澤要さんの小説『光の王国 秀衡と西行』を買った。
(図書館で借りたことがありました。「文庫本になったら買おうかな」と思っていたのですが、
 装丁の美しさに惹かれて新書で買いました。飾っておいても美しいのです。)
・数年前に買ったプラネタリウムDVD『銀河鉄道の夜』を最近よく見た。今更ながら宮沢賢治に興味が湧いてくる。
・某旅行予約サイトの割引クーポンを見つけた。
・11/15はわたくしの誕生日。ちょっと贅沢してもいいんじゃない?

等々の条件が重なって、「よーし、平泉と花巻までいっちょ行ってみるか!」と思えてしまうのが、
多少の暇も多少の財力(←大げさ)もある大人の怖いところです。
そんなこんなで11/15(土)に大阪出発→平泉観光→花巻に一泊→11/16(月)に花巻を観光→大阪に帰る、
という、何とも忙しない旅をして参りました。

11/15の朝、伊丹空港から花巻空港へ。飛行機は新幹線に比べると手続きが面倒くさくて嫌なのですが、
岩手まで新幹線で行く時間はさすがに勿体ないです。一泊二日ですしね。
本当に久しぶりのJAL便に乗ったのですが、小型機でも結構快適なんですね。
ジュースも美味しかったし、小岩井牧場のクッキーも貰えて嬉しかったです♪(こういうのに弱い)
しかし、気流の影響で体が浮くほど機体が揺れて怖かったです。そして、花巻への到着時刻が遅れたため、
空港から最寄JR駅へのバスに乗り遅れる→次のバスを待つ→JR(東北本線)が1時間に1〜2本しかない→JR駅でまた待つ、
という負のスパイラルに出くわしました。
この交通機関の少なさは計算外でした。ツアー観光が流行るわけだ。

そんなこんなで時間をロスしつつ、まずは平泉へ。
レンタサイクルかバスか徒歩か。自転車で回るには寒く(最高気温が9度)、バスは本数がなさそうでした。
徒歩で行くと意外な発見も多いので、元気なうちは徒歩で!と歩き出す。
そして、恒例の迷子事件。駅を出た所ですぐに一本手前の道を曲がっていました。
すぐに気が付いたのですが、店々の看板に中尊寺通りと書いてあったので、
「いつかは目的の中尊寺に着くだろう」と気楽に歩きました。我ながら元気な人間の思考はいいかげんです。
途中で、「時間があったら行こう」と思っていた場所を通り掛かりました。

【無量光院跡】

無量光院(むりょうこういん)は奥州藤原氏の三代目、秀衡が建立した寺院です。
平泉の中心には金鶏山(きんけいさん)があります。奥州藤原氏によって山頂に大量の経典が埋められた山です。
無量光院はその真東にあり、春分・秋分の頃には金鶏山に向かって沈む夕日を拝むことができます。
今は消失してしましたが、池の中島に阿弥陀堂が建つ、宇治の平等院鳳凰堂と似た外観だったそうです。

平等院と言えば、かの権力者藤原道長の息子が広大な土地に建てた私設寺院ですよね?
無量光院はその規模を凌ぐそうな。都への憧憬とライバル意識、そして摂関家を上回る財力を感じます。

【中尊寺】
お昼ご飯を挟んで、平泉のメインイベントである中尊寺探訪へ。
なんでメインイベントなのかと言うと、世にも美しい金色堂があるから、ではなくて、
表参道である月見坂という0.7kmに渡る真っ直ぐな急勾配を、えっちらおっちら登らねばならぬからです。
月見坂沿いには不動明王院など、たくさんの御社がありました。
その一つ、目の神社である峰薬師如来にはちゃんと御参りしてきました。目は大事!
ここは狛犬ではなくて、なぜか狛蛙でした。しかも、おんぶカエルですよ。面白い!


一番上まで登って、やっと金色堂です。その前に讃衡堂という寺宝展示私設を見学します。
奥州藤原氏は独自のルートで宋と貿易をしていました。
経典、仏具、磁器などの展示品はどれも贅を尽くした上等の物で、奥州藤原氏の財力をまたもや感じました。

さて、金色堂です。残念ながら金色堂自体は撮影禁止です。下記は金色堂を守るための覆堂です。

はい、文句なしに荘厳で美しかったです。
本尊の阿弥陀如来、左右に菩薩像が一体ずつ、更に両脇には地蔵菩薩が三体ずつ。
その前には四天王の中から二体。須弥檀の上には合計十一体の尊像があるわけです。
檀自体も鳳凰などの細かな彫刻細工に覆われています。ものすごーく細工が緻密です。
その、かける3、でございます。
須弥檀は三つありますからね。真ん中の須弥檀には一代目の清衡、向かって左には二代基衡、
右には三代秀衡の遺体が収められています。四代泰衡の首級も、父親である秀衡の須弥檀に収められたそうな。
そんな3つの須弥檀、尊像、床、壁、柱、屋根の表裏すべてが金箔と螺鈿と漆塗りで覆われているのです!!
奥州藤原氏すごーい。朝廷も源頼朝も恐れるはずだよ、この財力と文化力!


金色堂への感動を胸に、更に奥に座する白山神社へ。
厄を落とせる(?)と言うお参り方法に従って参拝してから、最近恒例の御神籤引き。
「誕生日なんだし、大吉が出てもよろしいのでは?」などと思っていたら、本当に人生初の大吉が出ました。
さすが誕生日!! 取り急ぎもう一度「ありがとー!」と参拝してまいりました。
神様はきっと「なんか変な奴が来たな」と首を捻っていたことでしょう。

もうだいぶ寒かったのですが、まだ菊も紅葉も綺麗でした。
  

さて、登ったからには下山しなければならないのよね。足の負担が半端ないです。
小雨の降り出して冷える中、滑る落ち葉に怯えながら下山して、タイミング良くやって来たバスに乗ります。

【観自在王院跡】
さて、バスで楽してやってきたのは毛越寺(もうつうじ)付近。こちらは二代目の基衡公の建立です。
ここも建物は消失してしまったのですが、素晴らしいお庭が残っていています。
しかし残念ながら時間切れで、着いた時には閉園まで30分を切っていました。
というわけで毛越寺はパスして、お隣の観自在王院(かんじざいおういん)跡にてくてく歩きます。
観自在王院は二代基衡の北の方である安倍氏の女性が建立した寺院です。一代清衡の母親も安倍氏の女だそうな。
都の摂関家に連なる藤原氏ではなく、奥州藤原氏としてこの地に根付こうとする意志が感じられますね。
こちらも広々とした浄土庭園で、大きなお池「舞鶴が池」と中島を配置したゆったりとした造りです。
中島には無量光院と同様に阿弥陀堂があったそうです。


観自在王院で佇んでいたら、いつの間にか辺りは真っ暗に! 東北は夜になるのが早い!?
慌てて早足で平泉駅に戻り、JR東北本線で来たルートを戻ります。翌日は花巻で宮沢賢治を訪ねる旅です。

さて、この夜に花巻駅でちょっとした出逢いがございました。
花巻駅で東北本線を降りて、宿泊先のある新花巻駅に行くJR釜石線に乗り換える必要がございます。
ついでに花巻で夕ご飯を、と思いまして改札を出た所で『SL銀河 残席15名』の張り紙が!
SL銀河とはなんぞや?と申しますと、ご存知『銀河鉄道の夜』の鉄道をモデルにした観光列車で、
宮沢賢治の故郷である花巻駅と海沿いの釜石駅を結ぶJR釜石線を土日にだけ走っているのです。
SL銀河の存在は知っていたのですが、予約がすぐ一杯になってしまうとネット上に書いてありましたし、
何せこちらは行き当たりばったりの一人旅ですから、時間厳守の観光列車はちょっと乗り辛いので諦めていたのです。
そこへ現れたこの掲示。いや、天上世界を走る銀河鉄道がモデルですから、「乗れ」という神の啓示ですかね。
ええ、速攻で窓口に直行しましたとも! 無事、銀河鉄道、じゃなくてSL銀河の切符をゲット!
翌日の乗車が楽しみです。

ご飯を食べ、小雪の舞う真っ暗な花巻駅周辺をうろつき(寒かった!)、宿泊先のある新花巻駅へ向かいます。
花巻で宿泊と言うと新花巻とは遠く離れた花巻温泉郷が有名らしいですが、
私は翌日は新花巻にある宮沢賢治記念館に行くと決めていましたし、一人で温泉旅館には泊まりにくいです。
というわけで、新花巻駅から徒歩で行ける所に泊まりました。なかなか素敵だったので、ご紹介させていただきます。

【ケンジの宿】

到着は夜8時を過ぎていたでしょうか。スマホの地図アプリを頼りに恐る恐る暗がりを進んで、無事に見つけたお宿。
笑顔が素敵なお兄さんが待っていて下さいました。疲れも吹っ飛びますね(←待て)
案内されたお部屋には寝心地の良いベッドに広いクローゼット、ゆったりとした椅子、三面鏡付きの鏡台。
お風呂は時間制の共同風呂です。湯船だけでなく壁も天井も床も木造りで、とても良い香りでした!
トイレ・洗面所も共同ですが、男女で分かれていますし、明るくて清潔です。そしてお洒落でした♪
あと、「寒い時は使って下さいね」と廊下に積まれた毛布が冷え性人間には超嬉しいです。
お茶類も「ご自由にどうぞ」と廊下にティーバッグやカップが用意されていて、有難く一服させていただきました。
ご飯も家庭的で程よいボリュームですし、給仕して下さったおばちゃま達がチャーミングで素敵でした。
同じ値段のビジネスホテルだったら、狭いユニットバスと暗い部屋と使いにくい設備と不味いご飯に辟易したことでしょう。
仕事で出張の時は仕方ありませんが、旅行の時は贅沢でなくて良いから、ゆったりとしたいです。
大変お世話になりました、と11/16の朝に出発しようとしたところで、昨日のお兄さんのお父様でしょうか?
和やかな感じのおじ様に「大阪から来たんです〜」と言ったら、「また遠くから……」と吃驚されました。
この宿の雰囲気が全体的温かいのは、運営されているご家族の雰囲気なのかしら?
一人宿泊だったのに居心地がもの凄く良かったです。また泊まりたいなあ。

【宮沢賢治記念館】
さて、本日のメインイベントその1。宮沢賢治記念館へ徒歩で出発です。車で行けると楽なんだけどなあ。
運転免許は持っていますが、ここ数年は運転していないし、見知らぬ土地を運転できる程は上手くない……。
こういう時に不便だし運転の練習をしようかな、と思って歩いていると、宮沢賢治の作品にまつわるアレコレを道中のアチコチに見つける。
うーん、こういうのは車では見つけられないからなあ。やっぱり徒歩移動って面白いんです〜。
しかしまあ結構な距離を歩いて、しかも登りました。そこへ現れる、これ。

記念館に行くには、ここから急な階段をひたすら上る……何の苦行だ、これは。かなり足にも肺にも来ました。
車だと山道をぐるぐる回りながら上に行けるのですよね。やっぱり運転の練習を(以下、略)。

途中にレストランの看板がありました。元ネタは『注文の多い料理店』ですね。
猫の絵の下には「いまWILD CATは留守です。安心してお入り下さい。」と書いてあります。怖いって……


さて、こんな所にまで来て何ですが、私はつい数年まで宮沢賢治や彼の作品に全く関心がなかったのです。
小学生の時に『セロ弾きのゴーシュ・他』の本を貰ったのと、学校の国語で『注文の多い料理店』をやった、という程度です。
しかも気味が悪い作品ばかりのように思っていたので、実はずっと苦手でした。
その意識が変わったのは20歳代も半ばになってからでした。
きっかけは大好きな画家KAGAYAさんのプラネタリウム番組『銀河鉄道の夜』です。
番組の中の「原作を読んでみませんか?」のフレーズに誘われて、小説を読むに至りました。我ながら影響され易いです、ハイ。
読んでから思ったのは、宮沢賢治の作品は「子供向けの話じゃないなあ」ということです。
貧しさ故の苦労、自己犠牲の精神、助けられた者の無感謝、死への諦観などなど、
大人だからこそ宮沢賢治が作中に示した思想や現実世界の悲しさがわかるように思うのです。
童話作家ではない宮沢賢治はどういう人だったのか。それを知りたくて宮沢賢治記念館まで足を運んだ次第です。

宮沢賢治記念館は撮影禁止ですので、簡単にレポートを。
私の宮沢賢治に関する知識は、「花巻の農学校の先生で、病で早くに亡くなった」という少ないものでした。
あとは作品のイメージから「貧しい農家の出身?」「キリスト教徒?」「穏やかな文人?」とか思っていました。
それがこの記念館で一気に覆りましたよ!

・1896年(明治29年)に花巻の質屋の長男に生まれる。つまり、地元では結構裕福なお家の生まれです。
 お父さんは町議も務めています。二歳年下の妹のトシも大学を出て、女学校の先生をやっていたそうです。
・賢治自身はチェロ(セロ)を、妹のトシはバイオリンを弾いていたそうな。この当時としては結構なインテリ兄妹ですね。
・家は熱心な浄土真宗。しかし賢治は後に日蓮宗に目覚めて、父親にも改宗を迫って失敗した挙句に東京に家出しています。
 うーん、激しい人ですね。ちなみに賢治の死後、父の政次郎さんは日蓮宗に改宗しています。
・子供の頃は「石っこ賢さん」とあだ名されるほど鉱物が大好きで、石を拾ってばかりいた。植物採取にも熱中したらしい。
・絵も上手。水彩画や多数のスケッチが残っている。
・中学校の寄宿舎の舎監排斥運動に参加し、同級生達と共に退寮させられています。激しいなあ。
・高校は主席入学の特待生。この頃から岩手の地質調査に携わる。
・鉱物好きが高じて宝石加工業を営もうとしますが、父親に反対されて断念しています。
・妹トシの病をきっかけに花巻に戻りますが、トシは24歳の若さで永眠。賢治は勿論ですが、ご両親はさぞ無念だったでしょうね。
・花巻の農学校の教諭になります。劇を書いて、生徒に上演させていたらしい。 
・童話を出版社に送ったものの掲載されず。生前に出版されたのは、童話集『注文の多い料理店』と詩集『春と修羅』だけなのだそうです!
・30歳で高校を退職して農民指導に奔走。化学知識を元に、肥料改良や稲作の指導に当たったそうです。
 科学者であり、実践者でもあった
のですね。
・一方で農民に音楽など文化を広めるなど、文化人の側面もあったとか。多彩すぎる!
・エスペラント語を習っていた。エスペラント語の何が彼を惹きつけたのだろうか?
・元々病弱ではあったのか、徴兵は免除されている。30代に入ってから、結核などで病床に着くことが多くなった。
・病床の身で栄養をしっかり摂らねばならんのに、菜食主義を断行。病を勧める原因になったと言われているそうです。
・病床にあっても農民などの相談に乗り続け、勉強し、ちょっと元気になれば働き出す。そんな不屈の人。
・有名な詩『雨ニモ負ケズ・・・』は病床で手帳に書かれた悲願自戒の記録なのだそうです。
・1933年(昭和8年)急性結核で37歳で永眠。もっと長く生きていれば、どれだけ多くの事をやり遂げられただろうか。
【参考:宮沢賢治記念館配布のパンフレット 宮沢賢治略年譜★主要事件】

私のイメージとは全然違って、見るもの聞くものすべてが驚きでした。
宮沢賢治は他人の評価を気にせず、しかし他人のためになる事を実践し続けました。
彼のやる気を感じるにつけて、自分の怠け癖を恥じ入るばかりです。

その後に【宮沢賢治童話村】にも寄って来ましたが、残念ながらここは子供向けでした。
でも各お話にまつわる展示もあって、楽しかったです。
  

さて、最後のイベントは突発のお楽しみとなりましたSL銀河乗車です。
まずは新花巻駅へ徒歩で……さすがに遠かったです。やっぱり車の練習(以下、略)

SL銀河が走る釜石駅〜花巻駅の各駅には、宮沢賢治が学んだというエスペラント語で愛称が付けられています。
賢治が付けたわけではなく、SL銀河が走ることになって付けられたもののようです。
新花巻駅は星座という意味のStelaro(ステラーロ)です。

ここから、まずは遠野駅に向かいます。
SL銀河は朝に釜石駅から出発して、夕方に花巻駅に到着します。
でも、午前中は宮沢賢治記念館に行きたかったので、私は途中の遠野駅から乗車することにしていました。
遠野駅に着くと、ポストの上で河童がお出迎え。さすがは遠野物語の地です!


そして、こちらが乗車するSL銀河。車体の外装がまず素敵です。
  

そして、内装も素敵です。
    

宮沢賢治を紹介する展示がたくさんありました。賢治作品の小説集や絵本も読めるようになっていました。
  

  

  

ただ、残念なことが。このSL銀河は大人向けではないということです。
子供が泣いたり騒いだりと大変騒々しい車内でした。
宮沢賢治の作品は子供には理解しにくいので、子供を乗せてもあまり喜ばないのでは?と思います。
それに子供は座席料金を取っていないようで、私の予約席をそのボックスに座る家族が占領していたのも不快でした。
しかもその席に食べ物や飲み物をこぼしたまま、席を返されても……乗務員さんに空いていた席に変えてもらいました。
また、外の風景は変わり映えの無い田舎の風景で、田舎出身の私は早々に飽きてしまいました。
小さなプラネタリウムなども備えていて、設備面はかなり投資して頑張っていらっしゃるだけに、
基本的なところが良くないというのが、非常に残念でしたね。

さて、到着は花巻駅に。ここで突貫の平泉・花巻旅行はおしまいです。
歩いて迷って、色々見て、良い事も嫌な事もありましたが、なかなか楽しかったです。
中尊寺金色堂はまたぜひ行きたい所です。今度は平泉全体をぐるっと回って、奥州藤原氏の足跡を訪ねてみたいですね。
花巻も宮沢賢治縁の場所をもっと回ってみたいです。そのためには車の練習を…(以下、略)



(「平泉・花巻ふらふら探訪」おわり 2015.1.3)
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