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リクエストして下さった方 : 晶様

天平・ガール・ウォーズ 阿倍内親王 中編(あべないしんのう)

さあて、いよいよ阿倍ちゃんクイーンの誕生ですよ!
と、その前に、もう一回横に長〜い家系図と、縦に長〜い年表をおさらいして下さいね。
青字は結果的に彼女の反対勢力となった人です。
灰字は阿倍ちゃん即位の749年までに亡くなっている人です。(前編の系図の色分けは誕生時点のものです)

【系図】 @                             _________________
                                   |             ____     |
                                   |            |      |   |
                               阿閇皇女《元明》===草壁皇子 高市皇子御名部皇女
美努王
==県犬養(橘)三千代====藤原不比等    ____|      |        |
     |____         |     |      |     |      |        |
     |     |         |    宮子===珂瑠皇子 氷高皇女 吉備皇女===長屋王=藤原長娥子(不比等の娘)
    橘諸兄  牟漏女王     |         |  《文武》  《元正》                 |______ 
   (葛城王) (藤原房前正妻) 安宿(光明子)=首皇子==県犬養広刀自                  |    |   |
     |                 ____|《聖武》  |___________       黄文王 安宿王 山背王
  橘奈良麻呂             |      |      |      |         |                 (藤原弟貞と改名)
                    基親王  阿倍内親王  安積親王 不破内親王 井上内親王=白壁王《光仁》
                          《孝謙・称徳》          =塩焼王           (天智天皇の皇孫)

A                     _______
                      |         |
   橘三千代======藤原不比等====五百重==========大海人皇子《天武》
         |           |     |       |                       |
         |         武智麻呂  麻呂   新田部皇子                     |
         |           |_____      |___________     舎人皇子
         |           |   |   |     |    |    |     |     |
        安宿==首皇子=南殿 豊成  仲麻呂 道祖王 塩焼王 忍坂女王 石田女王  |
            |  《聖武》        (恵美押勝)       =不破内親王          |
          阿倍内親王             |                             |
          《孝謙・称徳》            真従========粟田諸姉=====大炊王《淳仁》

何か、死人だらけの系図だなぁ…
次の年表のピンク字は、阿倍ちゃん絡みの政治的対立やその結果と思われます。

【年表】
718年 阿倍内親王誕生 1歳
720年 母方の祖父・藤原不比等死去→長屋王が右大臣に 3歳
721年 曾祖母・阿閇皇女《元明太政天皇》崩御 異母姉・井上内親王が伊勢斎宮に 4歳
724年 氷高皇女《元正天皇》譲位→父・首皇子即位《聖武天皇》 7歳
727年 実弟・基親王誕生→立太子 10歳
728年 実弟・基親王薨去 異母弟・安積親王誕生 11歳
729年 長屋王の変(長屋王と吉備皇女、その子らが自害させられる) 12歳
     母・藤原安宿立后《光明皇后》
733年 母方の祖母・橘三千代死去 16歳
734年 藤原仲麻呂(藤原武智麻呂の次男)が従五位下で朝廷に 17歳
737年 藤原四子(房前、麻呂、武智麻呂、宇合)が相次いで死去 20歳
738年 母の異父兄・橘諸兄が右大臣に 阿倍内親王が初の女性皇太子に 21歳
740年 藤原広嗣(藤原宇合嫡男)の乱 23歳
741年 吉備真備から教授を受ける 24歳
742年 塩焼王(新田部皇子の息子)と後宮女官数名が配流に(誣告事件か?) 25歳
743年 氷高皇女が首皇子に代わって、難波遷都の詔を出す 26歳
744年 恭仁京にて異母弟・安積親王急死(藤原仲麻呂による暗殺か?) 27歳
748年 氷高皇女《元正太政天皇》崩御 31歳
749年 父・首皇子譲位→阿倍内親王即位《孝謙天皇》 32歳
     藤原仲麻呂が紫微中台(光明皇后のための独立機関)の長官に
754年 父方の祖母・藤原宮子死去 35歳
756年 父・首皇子《聖武太政天皇》崩御 左大臣・橘諸兄辞職 37歳
757年 首皇子が後継に指名した道祖王を廃太子→舎人皇子の息子・大炊王を皇太子に指名 40歳
     橘奈良麻呂の変→奈良麻呂、黄文王、道祖王獄死 安宿王流罪
                 塩焼王を氷上塩焼と改名し、臣籍降下 藤原豊成(仲麻呂の実兄)左遷
758年 阿倍内親王譲位→大炊王即位《淳仁天皇》 41歳
760年 藤原仲麻呂が臣下としては初めて太子(太政大臣)に 43歳
     母・光明皇太后崩御
761年 病気に伏せる→看病に当たった僧・弓削道鏡を寵愛するようになる 44歳
762年 大炊王と対立→平城京に勝手に帰還し、法華寺にて出家→「天皇から実権を取り上げる」宣言 45歳
764年 藤原仲麻呂の乱→仲麻呂、氷上塩焼(元・塩焼王)処刑・大炊王配流→阿倍内親王重祚《称徳天皇》 47歳
765年 道鏡を太政大臣禅師とする 48歳
766年 右大臣・藤原豊成死去 49歳
769年 宇佐八幡宮神託事件→道鏡を天皇にすることを諦める 52歳
     異母妹・不破内親王らによる呪詛事件が発覚→不破を厨真人厨女と改名した上で都から追放
                                   同罪で忍坂女王、石田女王(故塩焼王の姉妹)を追放
770年 阿倍内親王崩御(天然痘によるものか?) 53歳


家系図と年表確認、ご苦労様でした〜。では、本題です。
氷高様の復讐に巻き込まれ、なかなか即位できなかった阿倍ちゃんではありましたがっ(BGM:べべん♪)
このたびめでたく即位の儀となったのでありますっ!(BMG:べんべけべんべんべん♪)
これでようやく羽根を伸ばして遊べるお仕事ができるではあ〜りませんか。バンザ〜イ☆(BGM:チャリラリラリラリラン♪)

なぁ〜んて思ったの、阿倍ちゃん? あんた、甘いわよ。
阿倍「なんでよぉー。氷高大伯母様も安積も、もういないっつーの。これからはあたしの時代だもんねー」
くっくっくっ、敵がいなくなったなんて本気で思ってるわけ? 甘いっ、甘いっ、甘ちゃんだねぇ。
阿倍「はあ? あたしは天皇なのよぉ。いっちばん偉いあたしに向かって、誰が何できるって言うのよー」
ほれ、いるじゃないのよ。あんたのすぐ傍に。
阿倍「傍って何よ。誰がいるってのよー……ゲッ、ママ!?」

そーなんです、そーなんですよ。阿倍ちゃんの即位を誰よりも心待ちにして、執念で即位に漕ぎ着けたママ・安宿さん。
幼い頃より阿倍ちゃんとの間には望まぬ確執があったのですが、氷高さんという強敵を前に一時休戦状態。
それがここに来て復活してしまったのであります!(BGM:オンドロドロドロ♪)
ってなわけでして、やっと第二の敵に正式にご登場願いましょう。
☆一回目の天皇時代(748〜764年)の敵 藤原安宿(光明皇后)
いやはや、「昨日の(一時的な)味方は今日の敵」と言ったところですねぇ。

さて、元々こじれた仲の母娘ではありました。
安宿さんにしてみれば、阿倍ちゃんは藤原氏の政治的傀儡にするために天皇にした娘。
操ろうとする気は満々でも、可愛いなんて全然思っていない。
それでも上手いこと取り繕わなければならないのですが、 阿倍ちゃんしてみれば「何よー、今更」という感じです。
理不尽にも冷たくされた幼少時代の恨みは深い。 相変わらず、こじれたまんまの母娘関係です。
でも、そこは賢い安宿さん。あらかじめ手を打ってありました。
阿倍ちゃんを篭絡するには何が必要か。ちゃんと考えて実行に移してあったのです。

天皇になるべく独身を貫かされている阿倍ちゃんにとって一番免疫がないもの。それはオ・ト・コです。
皇太子時代から年寄りのジジイ共(臣下)にかしずかれてきて、若い男を知らなかった阿倍ちゃん。
そんな彼女の前に若くて・血筋が良くて・賢くて・ついでにハンサムなイイ男が颯爽と現れて優しくされたら
根が素直な阿倍ちゃんはクラッときちゃいます。「キャー! あたしの王子様ぁvv」ってな感じで、イチコロです☆
もうおわかりですね。
安宿さんの命令で阿倍ちゃんを懐柔し、彼女を思いのままに操った男と言えば、藤原仲麻呂しかおりません
仲麻呂は亡き藤原武智麻呂の次男で、安宿の甥っ子に当たります。阿倍ちゃんには従兄です。
彼は元々橘諸兄に対抗するために安宿さんが準備した駒で、既に安積親王急死の裏で暗躍したと思われます。
そして阿倍ちゃんにはこう囁くのです。「全部、愛する君のためだよ、ベイビー」って。あー、悪い男。
阿倍ちゃんは純真なので、「あたしのためなのね! 超嬉しいっvv」とベタ喜び、したかもしれない。
本当は仲麻呂は全部安宿さんの命令に従っていました
藤原氏のための皇后である安宿さんと我こそは藤原氏の筆頭と息巻く仲麻呂。二人のタッグは固いのです。
何をどうすればいいのか、安宿さんは藤原氏の女頭領として考えて、仲麻呂とも示し合わせて、
遠隔操作で阿部ちゃんに実行させる。何も知らぬは阿倍ちゃんばかりです。
閨で仲麻呂に「こうこうこうすれば、君にとって一番素晴らしいことなんだよ、ハニー」なんて言われたら、
阿倍ちゃんは「うんうん、そうするね。愛してる〜、ダーリン☆」って、その通りにしちゃう。
おかげさまで「橘奈良麻呂の変」の際には仲麻呂の敵と目された人物達がことごとく排除されました
一見、阿倍ちゃんの在位を邪魔しそうな皇族・王族が排除され尽くしたように見えますが、
阿倍ちゃんを皇位から引き摺り下ろされて一番困るのは仲麻呂と安宿さんです。
排除されたのは仲麻呂と安宿さんの敵だと考えるべきでしょう。
その証拠に仲麻呂の実兄である藤原豊成までもが左遷を喰らっています。
藤原氏の、しかも実兄弟の間で覇権争いがあったと思われます。
そして、安宿さんは自分の片腕である仲麻呂を応援したというわけです。


ですが、阿倍ちゃんだって人形じゃない。一人の人間です。
しかも古今東西のご令嬢の例に漏れず、ワガママ要素と気まぐれ要素を合わせ持っています。
ちょっと機嫌が悪いだけで仲麻呂の言うことを聴かなくなります。
勿論、阿倍ちゃんのそういう性格を熟知している安宿さんは「あの娘の機嫌を損ねてはダメよ」と
何度も仲麻呂に言い聞かせたことでしょうし、仲麻呂だって重々承知していました。
しかし曽祖父の鎌足や祖父の不比等、そして叔父の房前に似たのか、仲麻呂は三度の飯より政治と権力が好きな男です。
(父親の武智麻呂には似なかったみたいですね〜。兄の豊成は父親似のような気がしますが)
本当なら先代達のように政治に没頭したいところでして、阿倍ちゃんの機嫌を取り結ぶなんて二の次なのです。
正直なところ「誰か代わってくんねぇかな」なんて思っていたわけです。
しかし仲麻呂にゾッコンな阿倍ちゃん、そして仲麻呂を手駒とする安宿さんが彼の身勝手を許すはずがありません。
とんでもない母娘に首根っこ押さえ付けられてしまった仲麻呂は、こう思いつきます。
「俺に絶対服従の奴を天皇にすりゃいいじゃん。俺様って頭イイ―、天才だぜー☆」
と言うわけで、仲麻呂は阿倍ちゃんに譲位を提案したわけです。
その"絶対服従の奴"とは、大炊王という「誰それ? そんなのいたの?」的な皇族でした。
家系図Aを御覧下さい。大炊王は大海人皇子の末子・舎人皇子の息子で、
仲麻呂にとっては“死んだ長男の嫁の再婚相手”という、普通なら限りなく赤の他人に近い関係なのです。
しかし、この超薄い関係を無理やり利用してしまうのが仲麻呂のセコイ賢いところです。
強引にも「嫁の夫なのだから、自分の息子同然!」と言い張って、大炊を身内のように扱います。
大炊にしてみれば、超ラッキー。最大の権力者とも言える仲麻呂の庇護を受けられる、甘い生活です。
血の繋がらない臣下に何から何まで世話してもらうなんて、皇族の誇りも何もあったもんではない。
って言うか、そもそも親父の舎人皇子が縁もゆかりもない藤原氏のすねかじりという、どうしょうもない奴。
だから、大炊の図々しさと誇りの無さは遺伝的要素なんでしょうね。

それはともかくとして、仲麻呂は阿倍ちゃんに譲位を迫ります。
「俺にとって息子同然なんだから、君にとってもそうだろー? なあ、マイスイートハート?」と強引理論。
夫も子供を持たない阿倍ちゃんに対して、"君は俺の家族宣言"戦法です。
そもそもあまり政治が好きじゃなかった阿倍ちゃんは、「ま、いっか」と譲位を簡単に承諾します。758年のことでした。
その二年後、仲麻呂は臣下として初めて太子(太政大臣)に任命されます。
いや、正確に言えば"任命される"ではなくて、"任命させた"ですね。
これまでの太子(太政大臣)はすべて皇族でした。厩戸皇子(聖徳太子)や高市皇子などです。
この役職は実質の政治的トップという意味とは別に、ちょっと厄介な意味も孕んでいます。
それは"次点の皇位継承者"という意味合いです。
すなわち、皇太子の次の地位にあるということになります。しかも、政治的実権を握っている。
だからこそ皇族にしか許されなかった地位でしたが、仲麻呂は自らをそこに置きます。
仲麻呂は阿倍ちゃんの親戚ではありましたが、皇族ではありません。だから天皇になることは不可能です。
しかし臣下としての最高の地位などで我慢できるはずが無く、太子という地位をもぎ取りました。
また、この頃は唐風の考え方が盛んに取り入れられた時代でもありました。
仲麻呂は"血筋に関係なく、強くて実力のある者が天下を盗る"という大陸の常識を知り、
「ならば俺が皇帝になるべきだ。血筋だけの天皇なんて、もうオシマイにしてやるぜ」と意気込んだことでしょう。

同年の760年、安宿さんがこの世を去ります。
生まれる前から血と策略にまみれ、初の臣下出身の皇后となった後も戦い続けた生涯でした。
阿倍ちゃんにとっては幼い頃から微妙な関係にあった母で、その仲は決して良好ではありませんでしたが、
それでも本当に家族と呼べる人は母だけでした。複雑な仲ながら、悲しみは少なくなかったと思います。
第二の敵さん、ご退場です。でも、もうちょっとこのまま考察を続けますね。
なぜならば安宿さんの子分(笑)である仲麻呂がまだ残っていますから。
さてさて、安宿さんの死は阿倍ちゃんと仲麻呂の間柄を一変させてしまいました。
安宿さんが上手くコーディネートしてこそ、上手く行っているように見えていた恋仲
安宿さんの死によって仲麻呂の化けの皮が剥がれたわけです。
いや、そもそも仲麻呂は取り繕う気などなかったのでしょう。
この時点で阿倍ちゃんはもはや天皇ではないし、自分は実質最高権力者。
「 もうワガママ娘に付き合うなんてゴメンだぜ」と言わんばかりに、仲麻呂は態度を翻します。
阿倍ちゃんは「酷い! ずっとあたしを騙してたのねっ!」と地団駄を踏んだことでしょう。
そんな悔しさのせいか病気になってしまいます。原因から察するに間違いなく鬱病(うつびょう)でしょう。
そこへ治療に現れたのが古代のカウンセラー、もとい祈祷してくれるお坊様・道鏡でした。


道鏡のイメージは、これもまた皆さん人それぞれかと思います。
ただ、道鏡が現れた後の阿倍ちゃんが大変貌を遂げたこと、特に仲麻呂との関係が完全に壊れてしまい、
結果的には仲麻呂を死に追いやってしまい、その後は藤原氏が不遇の時代でもあったので、
「道鏡は女帝をたぶらかした悪い奴」「世紀の怪僧だ」と悪い噂を流布されてしまったようです。
果たして、道鏡は意図的に阿倍ちゃんをたぶらかした悪い人だったのでしょうか?
それとも、純粋に阿倍ちゃんを愛した人だったのでしょうか?
その謎はこれから考えていくとして、その前に阿倍ちゃんと道鏡の関係について宣言しておきたいことがあります。
それは「別に道鏡が相手でなくても、阿倍ちゃんは変貌したに違いない」という点です。
たまたま「仲麻呂と違って、自分に忠実に優しい男」が傍にいただけなのです。

阿倍ちゃんは失意の中にいました。
仲麻呂が自分を愛してなどおらず、騙していただけという事実に打ちのめされていました。
悲しみ、悔しさ、恨み、絶望……いつもポジティヴな阿倍ちゃんが初めて知るマイナス感情の羅列。鬱ですね、どう見ても。
そんな阿倍ちゃんを診た道鏡さん。仲麻呂との経緯も耳にしていて、すぐに「失恋のせいだな」と診断できたことでしょう。
虚しい一人相撲の恋に敗れた阿倍ちゃんに、道鏡は優しく丁寧に接します。
変な意味でなく、カウンセラーとして。それが彼のお仕事ですからね。
ところが阿倍ちゃん、それを勘違いします!
「ああ、仲麻呂はあんなに冷たいのに、あなたはこんなに優しいのねvv」と大感激。
そう、これは完全に「担当医に恋する入院患者の心理」です。
失恋に最高の薬は新しい恋をすることというのは、今も昔も変わらないのであります。
そんな阿倍ちゃんの勘違いに、道鏡は「違います」と言いませんでした。

理由その1 : 「あなたは勘違いしています、なんて言えるわけないでしょう! 相手は太政天皇ですよっ!」
→まあ、正論ですね。下手なこと言ったら不敬罪ですものね。
理由その2 : 「これで気に入られたら、高い地位とかご褒美とか貰えるかな?」
→人間として当然の下心です。折角の機会だもの、勘違いも上手く利用しないとね。

と言うわけで、道鏡さんは擬似的な恋人の立場に収まります。
阿倍ちゃんの中で気持ちの整理ができたら、きっと「あの時はありがとう。おかげで助かったわ」と言われて、
どこかの寺のお偉いさんに引き上げてもらえるかもしれない♪なんていう期待を抱いて。
しかし道鏡の予想は大きく外れました。阿倍ちゃんは道鏡を自分ぼ傍に置き続けることを望んだのです。
道鏡はうかつにも、阿倍ちゃんが並みの女の子とは違う、と言う点をちゃんと把握していなかったのですね。
なんせ、阿倍ちゃんの恋愛経験は仲麻呂ONLYです。それ以外の恋をしようものならママ&仲麻呂に摘み取られました。
一人の男の愛を盲目的に信じて来るしかなかった阿倍ちゃんにとって、
「次の恋を探せ」というのが一体どれほど困難なことであるか、道鏡はわかっていなかったのです。
当然、擬似的に向けられていた道鏡への愛は深まる一方。
道鏡は「何か変だ」と戸惑ったことでしょうが、「彼女はまだ病の中におられるのだ」と自分に言い聞かせます。

一方の仲麻呂は道鏡の出現などOUT OF 眼中です。「はーん、カウンセラー? そうかい、そうかい」と軽視。
彼もまた阿倍ちゃんが普通の女の子でないことがわかっていなかったのであります。
阿倍ちゃんが心の病から立ち直り、人前に姿を現すようになって初めて、
いや、正確に言えば、仲麻呂に対する阿倍ちゃんの冷たい憎悪の視線を受けて初めて、
「あのクソ坊主! 阿倍に何を言いやがったんだ!?」と憤ったことでしょう。
傲慢にも仲麻呂は、阿倍ちゃんが自分を盲目的に愛していた気持ち自体は変わっていないと思っていたわけです。
自分が一言「そんな奴、捨てしまえ」と言えば、阿倍ちゃんは素直に従うに違いないと思っていたわけ。
しかし仲麻呂は阿倍ちゃんのヒステリー体質をよく知っているから、自分で言うのは嫌でした(笑)
そこで大炊王を使います。
阿倍ちゃんの性質に免疫のない大炊王は、義父とも言える立場の仲麻呂の命令を簡単に引き受けます。
普段政治の実権はすべて仲麻呂に任せてしまっているので、 大炊王が天皇面をできる機会はこんな時でもないと皆無なのです。
意気揚々と阿倍ちゃんの所にやって来て曰く、「道鏡との悪い噂が広がっている。自嘲なさってくださいね」、と。
それを阿倍ちゃんがヒステリックに怒鳴りつけたか、と言うとそうではない。
「そう」と冷たく返事しただけ。仲麻呂子飼いの大炊王になぞ口をきくのも嫌なのです。
それを肯定の返事だと勘違いした大炊王は、「わかった下さいましたよ」と仲麻呂に意気揚々と報告。
うーん、現代の"お使いに行く犬"よりもレベルが低い天皇だな、大炊王は。

大炊王がウキウキと去った後、阿倍ちゃんがどうしたか。
当時、阿倍ちゃん達は平城京を離れて北方の保良宮(ほらのみや)という所にいました。
仲麻呂は自分に反抗するかもしれない貴族達を平城京に置き去りにして、
自分の思うがままに政治がしやすい場所を確保しようと、保良宮に政権を移していたのです。
そんな場所に一緒に連れて凝られていた阿倍ちゃんですが、大炊王の言葉にプチッと切れました。
生意気な大炊王に対する憤りは勿論のこと、仲麻呂に対しても「馬鹿にするんじゃないわよ」と怒り心頭。
「こんな所、もう嫌!」と宣言。仲麻呂達の耳に入る前にとっとと平城京に戻ってしまいます。
慌てて仲麻呂達が追って来たのですが、もう遅い。
阿倍ちゃんは母の安宿さんが遺した法華寺に住み着くことを決めると、道鏡の手で出家してしまうのです。
なんで出家する必要があったのか、阿倍ちゃんにまつわる大きな謎だと思います。
自分の病を癒してくれたのが僧である道鏡だったから、という単純な理由もあったと思います。
その他に、阿倍ちゃんが"女性"であることを最大限に利用した仲麻呂への当てつけがあったに違いないと、私は思います。
出家は「私はもう二度とあなたに利用されない」という阿倍内親王の決心の表れだったのです。
新しい恋人の手による出家は、阿倍が自分自身の未熟な恋に別れを告げた瞬間でありました。
ちなみに、この時に道鏡が出家を勧めたという事実はないと思います。むしろ止めたと思います。
自分の手でそんな重大なことはできない、もしかしたら後に責任を問われるかも……と弱気。
でも、そんな道鏡の戸惑いを阿倍ちゃんは許しません。「あなたの手で生まれ変わりたいの!」と縋りつきます。
たかがカウンセラーの道鏡さん、太政天皇のお願いに逆らえるわけがありません。

こうして阿倍ちゃんは生まれ変わりました。尼姿になり、名前も『法基』と変えます。
法(決まり事)の基本。良い名前だと思います。
すべてを母や仲麻呂の言いなりになってきた過去の自分を捨てて、自分のことは自分で決めようとする意志を感じます。
わざわざ母の遺産である『華寺』で出家したのも、理由があると思います。
華々しく艶やかな皇后であった母・安宿。夫・首皇子を、阿倍ちゃんを、仲麻呂を操り続けた陰の女帝。
そんな亡き母に対しても「もうあなたの言いなりにはなりません」と阿倍ちゃんは宣言したかったのではないでしょうか。
こうしてようやく阿倍ちゃんは第二の敵に対して別れを告げることができたのです。

(「天平・ガール・ウォーズ 阿倍内親王 後編」につづく) 2008.6.29
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