2008年お年玉企画B 阿倍内親王 / Copyright (c) 2008 夕陽@魔女ノ安息地 All rights reserved.

リクエストして下さった方 : 晶様

天平・ガール・ウォーズ 阿倍内親王 後編(あべないしんのう)

さあさあ、「魔女ノ安息地」初の前・中・後編と相成りました、阿倍ちゃん考察。
もう見たくないと言われても見せちゃうわよ、系図と年表! だって、うちの考察のネタはここなんだもの。
762年までに死んだ人はこの色です。死者だらけ〜。

【系図】 @                             _________________
                                   |             ____     |
                                   |            |      |   |
                               阿閇皇女《元明》===草壁皇子 高市皇子御名部皇女
美努王
==県犬養(橘)三千代====藤原不比等    ____|      |        |
     |____         |     |      |     |      |        |
     |     |         |    宮子===珂瑠皇子 氷高皇女 吉備皇女===長屋王藤原長娥子(不比等の娘)
    橘諸兄  牟漏女王     |         |  《文武》  《元正》                 |______ 
   (葛城王) (藤原房前正妻) 安宿(光明子)首皇子==県犬養広刀自                |    |   |
     |                 ____|《聖武》  |___________       黄文王 安宿王 山背王
  橘奈良麻呂             |      |      |      |         |                 (藤原弟貞と改名)
                    基親王  阿倍内親王  安積親王 不破内親王 井上内親王=白壁王《光仁》
                          《孝謙・称徳》          =塩焼王           (天智天皇の皇孫)

A                     _______
                      |         |
   橘三千代======藤原不比等====五百重==========大海人皇子《天武》
         |           |     |       |                       |
         |         武智麻呂  麻呂   新田部皇子                     |
         |           |_____      |___________     舎人皇子
         |           |   |   |     |    |    |     |     |
        安宿==首皇子=南殿 豊成  仲麻呂 道祖王 塩焼王 忍坂女王 石田女王  |
            |  《聖武》        (恵美押勝)       =不破内親王          
          阿倍内親王             |                             |
          《孝謙・称徳》            真従========粟田諸姉=====大炊王《淳仁》

次の年表のピンク字は、阿倍ちゃん絡みの政治的対立やその結果と思われます。

【年表】
758年 阿倍内親王譲位→大炊王即位《淳仁天皇》 41歳
760年 藤原仲麻呂が臣下としては初めて太子(太政大臣)に 43歳
     母・光明皇太后死去
761年 病気に伏せる→看病に当たった僧・弓削道鏡を寵愛するようになる 44歳
762年 大炊王と対立→平城京に勝手に帰還し、法華寺にて出家→「天皇から実権を取り上げる」宣言 45歳
763年 藤原宿奈麻呂が仲麻呂暗殺を企てたとして、罪を問われる
764年 藤原仲麻呂の乱→仲麻呂、氷上塩焼(元・塩焼王)処刑・大炊王配流→阿倍内親王重祚《称徳天皇》 47歳
765年 道鏡を太政大臣禅師とする 48歳
766年 右大臣・藤原豊成死去 49歳
769年 宇佐八幡宮神託事件→道鏡を天皇にすることを諦める 52歳
     異母妹・不破内親王らによる呪詛事件が発覚→不破を厨真人厨女と改名した上で都から追放
                                   同罪で忍坂女王、石田女王(故塩焼王の姉妹)を追放
770年 阿倍内親王薨去(天然痘によるものか?) 53歳


さて、仲麻呂との関係がどんどんこじれていく阿倍ちゃん。その分、道鏡へと心が傾いていきます。
最初は仲麻呂も「あっそ。勝手にすればいいじゃん」と知らぬふりでしたが、念には念を入れて対策をしておく。
自分の息子達を次々と政界の重要ポイントに配置して、阿倍ちゃんに揚げ足をとられないようにします
ただしこれは仲麻呂が自分自身の首を絞めるきっかけとなってしまいました。
この人事体制によって仲麻呂が自分の家族、つまり藤原氏全体ではなく、更に藤原南家でもなく、
自分の血を引く者とその一派だけで政治をしようする姿勢がより鮮明になってしまったのであります。
それに対する不満はやはり藤原氏の中から出て来ました。同族による仲麻呂暗殺作戦の動きです。
首謀者は藤原宿奈麻呂(すくなまろ)。上の系図にいないので、ここに描いておきます。

                      藤原不比等
石川麻呂
(右大臣)       ____|___________
   |             |               |      |
   娘========宇合【式家】     武智麻呂【南家】  安宿==首皇子【聖武天皇】
     |____     |_____       |___      |
     |     |     |       |      |    |    阿倍内親王
    広嗣  宿奈麻呂  蔵下麻呂  雄田麻呂  豊成  仲麻呂    【孝謙・称徳天皇】
        (後の良嗣)          (後の百川)

このように、宿奈麻呂は阿倍ちゃんにとっても仲麻呂にとっても従弟に当たる男です。
実兄の広嗣は"藤原広嗣の乱"で負けて処刑され、とばっちりを受けた宿奈麻呂も連座、伊豆へと配流されます。
そして今回、宿奈麻呂は仲麻呂に捕らえられて「共犯者は誰だ!?」と責め立てられますが、
「共犯者などいない。自分ひとりで考えたことだ」と宿奈麻呂は一人で罰を受けようとします。
仲間思いなのか、単に格好つけようとしたのか、はたまた本当に一人で考えたことだったのか、真相は不明です。
この宿奈麻呂の態度に驚いたのは、責め立てた仲麻呂自身。
自分の横暴さを自覚しているものですから、周りは皆敵だと思い込んでいるのです。
「他にも共謀した奴がいるに違いないのに、庇うなんて……くそっ、自分がいなくても成功するってことか」と
どうしょうもない疑心暗鬼へと陥っていきます。
ハハハ、これは他人を信頼せず自分自身の力だけを頼みにして来た奴がよく陥る心境ですね。
(仲麻呂のこういう欠点に対し、私は彼の人間味を見出しまた共感しています。結構、彼のことは好きです。)
そんな仲麻呂がどうしたか。まずは宿奈麻呂を罰し(流罪?)、宿奈麻呂に共謀しそうな大伴家持ほかニ名は左遷します。
この処置によって、自分の思い通りにならない人間は徹底排除しようという仲麻呂の態度が知れ渡ります。
それまでは「とりあえず、上皇にも仲麻呂にもヘコヘコしておけばいっか」と思っていた重臣諸君、
「うげっ、次に仲麻呂に目を付けられるのは自分かもしれない」と焦ります。
そんな彼らが次々と阿倍ちゃんの下へと馳せ参じて言ったのは、自然な成り行きだったのです。

このターニングポイントを阿倍ちゃんは実に上手いこと利用しました。
家持らの左遷など、仲麻呂に有利な人事異動を許可する代償として、
彼の策略で大宰府に追いやられていた吉備真備を都に呼び戻したのです。
吉備真備とは誰か。今まであまり触れていませんでしたが、若き日の阿倍ちゃんの家庭教師です。
「天の原 ふりさけ見れば 春日なる みかさの山に 出でし月かも」で有名な阿倍仲麻呂と共に唐へ渡り、
共に帰国するはずだったのですが、阿倍仲麻呂は乗っていた船が嵐で中国へ押し戻され、 真備だけが帰国しました。
そして、女性初の皇太子であった阿倍ちゃんに勉強を教えたわけ。
かつて首皇子の家庭教師だった藤原武智麻呂が首皇子即位後に政権のトップになったように、
真備が阿倍ちゃんの側近として活躍する可能性があったため、仲麻呂に煙たがられて大宰府に左遷されていたのです。
道鏡という心の支えを手に入れた阿倍ちゃんは、現実社会で自分を補佐してくれる真備を呼び戻し、
自分の地盤を着々と固めていったのであります。
戻って来た真備に与えられた地位は東大寺のお偉いさん。
東大寺は当時とても力を持っていたので、阿倍ちゃんはそこを丸々自分のテリトリーにしてしまったのです。
更に阿倍ちゃんは道鏡にも地位を与えたくなりました。やはり僧のお偉いさんに引き立てます。
当の道鏡は「おっ、いよいよ来たか! いやぁ、妙な患者だったけれど、カウンセリングして良かった良かった」と
今まで不安に思っていたことを水に流し、その地位を有り難くいただきます。
ところが阿倍ちゃん、「あなたみたいに素敵な人を生んだ一族は、もっと優遇されるべきだわ!」と言い張り
道鏡の弟である弓削浄人(ゆげのきよひと)をも引き立てます。
ほかにも弓削一族をどんどん高い地位につけて、自分の傍に置くようになるのです。
浄人達の喜んだことのなんの。成り上がり者は飽き足らず「兄さん、もっともっと!」とおねだり。
まさか一族ごと優遇されるなんて思っても見なかった道鏡は「どうしよう、どうしよう」と困り顔。
でも彼だって成り上がり者。突然降って湧いて来た御褒美に感覚が麻痺してしまっていました。

阿倍ちゃんはただ道鏡を偏愛していただけではありません。ちゃんとお仕事をしていました。
かつて仲麻呂に「君のためさ」と囁かれて許可していた政令の数々を見直して、
「こんなのダメに決まってるでしょ。ふざけんじゃないよ!」とメスを入れようとします。
これを道鏡の差し金と見るのは大きな間違いです。彼はカウンセラー、政治の「せ」の字も理解できていません。
阿倍ちゃん自身の政治手腕がここに来て試されました。
今までママや仲麻呂をはじめ、政治というものを間近で見てきた(本当は自分でやらなければならなかった)のです。
本人の意思とは無関係にお手本は山ほど頭に叩き込まれ、ちゃんと政治をする力を身につけていました
真備の補佐があってのことではありますが、こんな事態になって初めて彼女の政治力が発揮されるに至ったわけです。
だけど、阿倍ちゃん。今までの自分がダメ女帝だったものだから政治家としての自分に自信がない。
「すべて上手く行くのは道鏡、あなたのおかげよ☆」と自分で自分に勘違い
勘違いの恩恵を蒙った道鏡さん、「いや〜、私ってそんなに凄い人間だったのかぁ」とまた勘違い。
二人してどこまでも勘違い街道を突き進んで行きます。(真備、アンタが止めてよね。止めるべきなのよぉ……)
そんな二人に追随して、臣下の皆さんも「道鏡って、こんなに影響力あるのかぁ」と勘違い。
阿倍ちゃんの態度の豹変をイマイチ理解できていない仲麻呂の憎悪も、勿論道鏡へと向けられます。

そして、いよいよ仲麻呂との間は険悪化。
先に行動を起こしたのは「周囲はすべて敵」状態に自らを追い込んだ仲麻呂の方でした。
勝手に軍を組織し、打倒☆阿倍ちゃん、打倒☆道鏡でございます。
阿倍ちゃんだって黙っていない。徹底抗戦の構えと相成りました。
まずは一応現天皇の大炊王を自宅軟禁、仲麻呂には渡しません。
お飾りの天皇を奪われてしまった仲麻呂は、仕方がないので別の王族を天皇候補に擁立します。
その王族の名は塩焼王。藤原五百娘(不比等の異母妹)と天武天皇の間に生まれた新田部親王の息子です。
橘奈良麻呂の変に巻き込まれた(この時、兄の道祖王は獄死)ものの、どうにか言い繕って罪は免れ、
また阿倍ちゃんに呪いをかけて皇位から引きずり落そうとしたという罪で罰せられたり、まあ派手な人です。
それでもしぶとく生き残り、どうやら仲麻呂に天皇にしてもらえそうだということで、
必死の仲麻呂についてひょこひょこ近江へと行く羽目に……大炊王と同等なくらいダメ王族です。
なんで仲麻呂が近江に行ったかと言うと、息子達が役人としてそこを治めていたからです。
特に現在の福井県と滋賀県との間くらいに結構なテリトリーを持っていました。
「ここに新しい政府を打ち立ててやる!」と勇んで、そして「そこで阿倍を迎え撃って、俺が勝つんだ!」と。

万が一この時に仲麻呂が勝っていたら阿倍ちゃんをどうしたでしょうか??
臣下が同族の大王を殺すという事例は、蘇我馬子による泊瀬部皇子(崇俊天皇)殺しがあり、
内親王については藤原四兄弟(と言うと、語弊がありますが)による吉備内親王殺しという先例があります。
でも……仲麻呂は道鏡は葬り去るかもしれませんが、阿倍ちゃんを殺さなかったと思います。
いえ、殺せなかったと思います。
仲麻呂は自分に絶対的な自信を持っていました。そんな自分に、かつて絶対的な信頼を寄せていた阿倍ちゃん。
仲麻呂にとってあくまで彼女は操る対象であり、また庇護する対象なのです。対等に考えられないのです。
一方の阿倍ちゃんにとっては仲麻呂は第二の敵である母・安宿が残した置き土産。
心を鬼にして乗り越えなければならない存在でした。
そんな二人の心構えの違いにも差が出たのでしょうか。仲麻呂は完敗し、琵琶湖にて首を取られました。
仲麻呂に連座して命を失ったのは仲麻呂一家のほとんどと家来達、そしてダメ王族の塩焼王でした。
ようやく母の呪縛から完全に逃れた阿倍ちゃん。
しかし、この出来事が第三の敵の堪忍袋の緒を切ってしまったのでありました。


では、ようや第三の敵に正式に御登場いただきましょう。
ただし今までの敵と違って小物です。氷高大伯母様や安宿ママとは器が違い過ぎます。
しかし、ある意味で強かった。いや、しぶとかった。
おかげで阿倍ちゃんとの間に繰り広げられたバトルは熾烈なものとなりました。

☆ニ回目の天皇時代(764〜770年)の敵 不破内親王
……今にも聞こえてきそうです。「誰それ?」っていうあっけにとられた声が。
上の系図にいるのですが、戻るのは面倒ですね。どうぞ。

県犬養(橘)三千代====藤原不比等=================藤原五百娘======大海人皇子
            |     |                                          |
            |  藤原宮子===珂瑠皇子《文武》                      新田部皇子
            |         |                                      |___________
        安宿(光明子)===首皇子==県犬養広刀自                        |   |     |     |
                 |   《聖武》 |_________________         | 道祖王 忍坂女王 石田女王
                 |        |      |                  |       |
           阿倍内親王  安積親王 井上内親王=白壁王《後の光仁》 不破内親王塩焼王
             《孝謙・称徳》                 (天智天皇の皇孫)       __|__
                                                        |      |
                                                     志計志麻呂  川継

つまり、阿倍ちゃんの異母妹です。同母姉には阿倍ちゃん亡き後に皇后となる元伊勢斎宮の井上内親王、
同母弟には安宿さんと仲麻呂の策で暗殺された皇太子候補・安積親王がいます。
母親は県犬養広刀自といい、光明皇后以外で唯一聖武天皇の子を産んだ女性です。
しかも三人もいたことから、それなりに夫婦仲は良く、後宮でも良い待遇を受けていたことでしょう。
それもそのはず。彼女は橘三千代さんの親戚筋で、三千代さん肝いりで入内したのですから。
地位は安宿さんより常に後ろに置かれていましたが、広刀自は自分の身分と立場を弁えて、
できるだけ安全で穏便な天皇夫人生活を送ったことと思われます。

前編でお話したように、弟の安積親王は男の子であったがために17歳で暗殺されてしまいました。
不破内親王が723年生まれだとすれば、彼女はこの時22歳。
当時の皇族、貴族女性の結婚適齢が17歳頃だったようなので、既に彼女は結婚していたのでしょう。
同じ母から生まれても、弟は男の子だったから皇位継承問題に巻き込まれました。
けれど彼女には無関係な話です。いや、無関係なはずでした。が、そうもいかなかった。
夫がまずかったのです。先に名前が出てきましたが、夫は後に仲麻呂に利用された挙句に殺された塩焼王。
「わしだって皇族だ! 女が皇太子になるくらいなら、わしが天皇になるぞ!」と言っていたのか何なのか、
とにかく時の天皇・首皇子にとっては娘婿でありながら、かなり鬱陶しい存在でした。
そして勿論、安宿さんや仲麻呂にとってはもっと邪魔。742年、女性との不適切な関係をダシに追放されます。
続いて、橘奈良麻呂の変は何とか逃げ切ったものの、さすがに危険を感じたのか臣籍降下。
氷上真人塩焼と名乗ります。息子二人も共に臣下となります。
しかし正妃である不破内親王は、内親王の称号は削られたものの皇族に留まります。
不破の方が身分が高いわけですから、夫に合わせる必要は無かったのです。
764年、天皇を夢見て勝手に皇族復帰宣言をした塩焼王ですが、結果は「仲麻呂と共にあの世行き」でした。

さて、この不破内親王という女性自身はどういう人だったのか。
千葉県の松虫寺は彼女の史蹟であるとかで、伝説的に足跡は残しています。
今回は伝説よりも彼女の官位と行動を追ってみようと思います。
不破内親王は天皇の娘ではありましたが、
随分長いこと女性の官位である"品"を持っていませんでした
初めて授かったのが763年。もう41歳になっていました。
ちなみにこの時、阿倍ちゃんは既に上皇であり、かつ仲麻呂との仲も決裂していました。
と言うことは、不破に官位を授けたのは異母姉の阿倍ちゃんではないのです。
大炊王、いえ、その背後にいる仲麻呂なのです。
何故仲麻呂がそんなことをしたのか。簡単に言えばご機嫌取りです。
763年に上記の藤原宿奈麻呂の謀反未遂があったので、仲麻呂は孤立感を深めている最中です。
誰でも良いから少しでも役に立ちそうな奴には飴を与えておけ作戦。(本当に仲麻呂ってわかりやすい…)
そのいいかげんな態度は彼女に与えられた官位が四品であることからも察せられます。(数字が小さいほど高い官位です)
彼女の同母姉である井上内親王の初授与は31歳で、ニ品を授かっています。しかも父親から
しかし妹の不破には何も与えていません。6歳くらいしか歳は離れていないのに。
ちなみにですね、氷高皇女は35歳の時には既に二品で、36歳には一品になっていますし、
その同母妹である吉備内親王は27歳頃に三品、36歳頃には二品です。その五年後に殺されますが…(泣)
このニ姉妹は母親である阿閇皇女(元明天皇)から授与されたと思われます。
不破だけがやたら遅くて低くて、しかも赤の他人に近い奴から与えられているわけ。
もし彼女が父親である首皇子に大切にされていたのならば、こんなことにはならなかったはずです。
思うに、不破は性質的あるいは性格的な理由で首皇子から疎まれていたのではないでしょうか。
父はその分、幼くして伊勢へやってしまった井上や唯一の息子となった安積に愛情を注いだのです。
安積を皇太子にしようと夢想し(夢は安宿と仲麻呂によって、無残に破られましたが)、
伊勢から帰って来た井上には高い官位と結婚相手(ロクな男じゃないですが)をポンと与えます。
一方、不破には官位も与えず、夫である塩焼王に皇位継承を打診することもありませんでした。
(あてつけのように、塩焼王の兄である道祖王を阿倍ちゃんの次の天皇に指名します。)
同じ母から生まれながらこの仕打ち。別の母から生まれた姉は尚のこと憎い。
不破の心にどす黒い憎悪が育まれたことは想像にかたくありません。

踏んだり蹴ったり人生の不破内親王ですが、 不幸中の幸いは「恵美押勝の乱」で連座を免れたってところですね。
これもおそらくですが、彼女と塩焼王の仲は実に冷めたものだったのではないでしょうか。
元々、不破は大した身分でもない塩焼王より自分の方が上だと思い込んでいたし、
742年に乱交関係をダシに塩焼王が追放された時点で、「私に近寄るな!汚らわしい」的な態度だったのではないかと。
しかし、塩焼王が処刑された時にプッチンと切れてしまいました。ある意味では良い方向に。
不破は初めて
夫を馬鹿にしていたくせに依存していた自分に気がついたのです。
「あんなダメ男でも上手く行けば天皇に。あたしは皇后に。そして、あたしが権力を握るのよ!」と思っていた自分。
でも、そこまでの運も器も塩焼王にはありませんでした。
不破は「頼れるのは自分だけ」と思い直したのです。自分で行動せねば!
それまでは夫の挙動に細かくブチブチ切れている状況でしたが、そんなものは綺麗さっぱりなくなりました。
残ったのは阿倍ちゃんに対するどうしようもない憎悪だけです。
そんな夫に期待しない分、不破は自分の産んだ息子達には期待をかけていたのでしょう。
阿倍ちゃんに子が無く、男系の皇族は自分の産んだ息子二人と、姉の井上内親王が酔っ払い白壁王との間にもうけた他戸親王のみ。
白壁王は葛城皇子(天智天皇)の孫ではあるものの、皇位には程遠い血筋。(後に、摩訶不思議にも天皇になりますが)
そうなると、次の皇位継承者として相応しいのは自分の長男・志計志麻呂しかいないではありませんか!
舌なめずりしていた不破内親王にとって、良い意味でも悪い意味でも追い風となる出来事が起きました。

765年、阿倍ちゃんは道鏡を太政大臣禅師に任命します。お坊さんだから禅師とつくだけで、いわゆる太政大臣。
藤原氏のご機嫌も一応とりまして、藤原永手(房前の息子)を左大臣に任命しましたが、吉備真備を右大臣に据えて睨みを利かせます。
貴族(豪族)の勢力を強める墾田永年私財法を廃止するなど、なかなかわかりやすい政治方針(笑)
当然、貴族連中は反発します。
そんなこんなのこの年に奇妙な事件が起こりました。
舎人親王の孫に当たる男(大炊王の従弟ですね)で、大炊王廃位にも協力した和気王という王族がいます。
彼が皇位に就こうと画策したとの罪で追われ、逃げたものの捕まり、処刑されてしまうのです。
彼に皇位簒奪を唆したとして、紀益女という女性も処刑されます。
同年10月には廃帝となった大炊王が病死。殺されたのでしょうね。
もはや阿倍ちゃんにとって鬱陶しいだけの舎人親王系の血筋を次々と粛清していきます。

そして769年、阿倍ちゃん曰く「道鏡ってすばらしいの☆ こういう人が天皇になるべきよっ!」事件。
自分自身の力を信じきれない阿倍ちゃんは、ついに後継者に道鏡を指名しようとしたのです。
弓削一族万々歳! 道鏡は「えへへ」と照れつつ、この頃には感覚が麻痺してどうしょうもない。
そもそも"ウソ"八幡宮が阿倍ちゃんやら道鏡一味やらのご機嫌取りに、
「道鏡を天皇にしたら、きっと世の中ハッピーよ」という神託を届けさせたのが、事件の始まりでした。
そんな意味のわからない人達を和気清麻呂と姉の和気広虫が諌めようとして、返り討ちにあったという、
769年のいわゆる道鏡事件です。("ウソ"八幡宮神託事件とも言います。本当は宇佐八幡宮ね)
清麻呂は別部穢麻呂(べつべのきたなまろ)、阿倍ちゃんに従って出家して法均尼(ほうきんに)と名乗っていた広虫は
狭虫売(せまむしめ)とそれぞれ名を貶められて、遠流となりました。
腹心とも信じていた広虫とその弟・清麻呂の裏切り(と、阿倍ちゃんは思っている)に怒りが収まらない阿倍ちゃんですが、
それでも道鏡を天皇にするのは抵抗勢力があまりに大きいことを悟り、諦めます。

時系列が前後しますが、この事件の裏事情を探ってみましょう。
道鏡が天皇になる。これにはさすがに臣下の皆さんも賛同しませんでした。
そもそも、仲麻呂のくびきから逃れる為に阿倍ちゃんの元へはせ参じただけですもの。
心の底では、藤原氏出身で女である阿倍ちゃんを天皇だと認めていない奴だっていたことでしょうし。
(ママと仲麻呂のいいなりになっていた経緯があるので、仕方のないことではあるのですが)
阿倍ちゃんの言うことすら聞く気がないのに、彼女が寵愛する道鏡がトップになるなんて有り得な〜い!
でも、考え方を変えるとチャンスでもありました。
阿倍ちゃんに後継者がいないのは紛れもない事実。
それなら他の皇族を擁立して、その後見人の立場を利用して権力を握ることだって夢じゃありません。
実際、これより少し前に事件が一つ起きています。
阿倍ちゃんの義理の弟、つまり首皇子の息子を名乗る男が現れたのです。
この時期に名乗りを上げたところからして間違いなく偽者でして、流罪になっています。
現在要職についている弓削浄人をはじめ道鏡一族にとって、阿倍ちゃんの後継者は目障りでしかありませんからね。
ちょっとでも目立った行動をとれば、この偽者皇子(と彼を利用して甘い汁を吸おうとした奴ら)の二の舞です。
陰でこそこそ、ひそひそ。そんな臣下の皆さん。

そんな状況に大喜びしたのが不破内親王です。
異母姉人気なし!と見なすや否や、臣下の皆様に猛烈なラブコールを送り始めました。
「ちょっとお、あたしがいるじゃないのよっ。あたしだって内親王だし、なんせ息子が二人もいるのよー!!」、とな。
ここで臣下の中から「そうだ、不破内親王様がいた!」と言う人が出れば、歴史はちょっと違ったかもしれない。
でも現実はそうはなりませんでした。何故だったのか?
もし不破やその息子を推す気が誰かにあるのならば、本人達が名乗りを上げなくても自然に祭り上げられたはずなのです。
彼女の単純な性格なら臣下にとって利用しにくいということはないはずですし。
ところがそうならなかったのは、やはり人格的な問題ではないでしょうか。
仮にも天皇あるいはその母として据えるには嫌悪感を抱かれるタイプだったのだと思います。
単純で無力だけれど野心だけは滅法強くて、上手く行きそうになるとすぐ図に乗る。そして、おそらくヒステリー気質です。
そんなこんなで、誰にも振り向いてもらえなかった不破内親王は「なんでよおぅ〜!!」と地団駄を踏みました。
自分には皇位継承権がある、いや息子がいる自分こそが正当な血筋だと、かなり思い込みの世界に入っていたことでしょう。
そしてどうしたかと言うと、「阿倍さえいなくなればいい!!」との単純思考。
呪いの力を以って阿倍ちゃんを亡き者にし、息子を皇位に就けようと目論んだのです。(巫蠱厭魅と言うらしい)
呪術の実施者は県犬養姉女。首謀者である不破内親王の母方の一族と思われます。
共犯は忍坂女王と石田女王。家系図にも載せてありますが、いずれも塩焼王の姉妹でして、不破にとっては義理の姉妹です。
結果はどうなったか。姉女の密告によって、不破内親王ほかは流罪となりました。
舎人親王系の排除に続き、今度は新田部親王系の王族を排除したわけです。

はてさて、この事件はホンモノだったのかどうか。検証してみましょう。
先に結論。ニセモノです。
弓削一族あたりが邪魔な不破内親王その他を追い落とす為に仕組んだでっち上げでしょう。
この時代は陰陽師ブームのちょっと前あたりでして、大陸から怪しげな呪術なるものが輸入されてきた頃。
長屋王の変あたりから、呪術によって謀反を企んだとして結構たくさんの人が闇に葬られてきました。
先述の和気王もその一人です。
そんな時代だからこそ、ヒステリー気味で論理的思考の持ち主で不破が呪術に走った、とも考えられますが、
逆に、政敵を蹴落とす為に呪術が口実とされている時代に証拠を残す形で自分の首を締めるなんて、
そんな馬鹿なことはしないでしょう、多分。(そこまで頭が回っていなかったとしたら、救いようが無いな……)
真実にしろ、そうでないにしろ、阿倍ちゃんはこの事件を真実だと思い込んでいました。
何故そんなことが言えるのかって言いますと、呪いの内容があまりにも阿倍ちゃん受けする内容だったからです。
姉女曰く、「不破内親王に頼まれて、川原で拾った髑髏に阿倍内親王の髪を入れて呪った」とのこと。
実におどろおどろしい内容に阿倍ちゃん激怒!
「お前なんか内親王じゃない! 厨真人厨女(台所下女の意味)に改名して、追放よ!」と叫びました。
はい、弓削一族の思い通りであります。
(※ 清麻呂→穢麻呂もそうですが、阿倍ちゃんの改名センスって独特ですね…)
もし不破が世間に認められるような内親王であれば、罠が仕組まれる前に誰かが忠告なり何なりしてくれたてしょうし、
あるいは誣告があった後でも庇ってくれる人がいたかもしれない。
または、そんな権力争いとは程遠い内親王、つまり同母姉の井上内親王のような生活を送っていれば、
疑いをかけられても誰も信じなかったかもしれない。
そうはならなかったと言うことは……悲しいけれど、そういうことなんでしょうね。
そういう性格で、そういう生活を送っていたということなのでしょう。
この事件は誣告であったにせよ、皇位を狙っていたことは事実なのでしょうし。
被害は息子の志計志麻呂にも及び(彼の方が本当のターゲットだったとも考えられます)、二人とも追放です。
二年後の771年、事件は姉女の誣告であったことが発覚し、不破その他は許されて帰京しました。
しかし、その時既に阿倍ちゃんはこの世の人ではありませんでした。


770年、阿倍ちゃんは今度は西大寺の呪いを受けて病気になります。と言うことになっています。
現在の近鉄奈良駅の近くにあるのがパパ・首皇子が建てさせた東大寺で、
その対になるように阿倍ちゃんが建てさせたのが、近鉄の大和西大寺駅の傍にある「西大寺」というお寺です。
(灰谷健次郎さんの「兎の目」に出て来る善財童子像で有名です。
寺の敷地内に幼稚園があったり、境内のしっとりした雰囲気も素敵で、鹿に襲われる危険がある東大寺より好きです)
建て始めはもっと古くて、打倒☆仲麻呂の時に平定祈願のために発願したらしいです。
そこに塔を建てようとしたら、その礎石が呪われていて、その呪いを受けたとか何とか。
あるいは弓削一族の住処である河内の由義宮(ゆげのみや)に御幸した際に、何者かに毒を盛られたという説もあります。
いずれにしろ、あまり治療された形跡がないようです。
はて、何ででしょうか? 臣下の皆さんに不評とは言え、吉備真備とその娘(あるいは妹)が傍にいたし、
何よりも阿倍ちゃんに死んでもらっては困る道鏡一族郎党だっているのに。
私は"阿倍内親王自身が治療を拒んだ"のだと思います。
疲れちゃったんじゃないのかな。色んな人にあれやれ、これやれと言われ続け、
わけのわからないまま何かをやって、常に批判され続けて。誰が敵で、誰が味方なのかもわからない世界。
やっと信じられる道鏡を見つけて、これですべてがうまくいくと信られじたのに上手く行かなくて。
「こんな世界、もう知らない」と投げ出してしまったのではないでしょうか。緩やかな自殺だったとも言えます。
そんな彼女の態度を無責任だと責めるのは筋違いです。
よく53歳まで独り耐え続けたものだと、私は思います。


さて今更ですが、道鏡との関係について少し補足。
阿倍ちゃんの考察をしておいて、これを書かないのはマナー違反のような気がしてきたので。
道教は義淵(岡寺の開祖で、草壁皇子の幼馴染)の弟子の一人とされています。勉強家だったみたいですね。
彼は政治的な野心を持って阿倍ちゃんに近付いたわけではなく、何度も書いていますが、あくまでカウンセラーか医者の立場でした。
それを阿倍ちゃんが自分の精神安定剤よろしく傍に置いてしまっただけでして……
二人の間に恋愛関係があったのか否か。これはわからないですね。
"医者"に恋した阿倍ちゃんの熱が冷めなくて、道鏡が毅然とした態度で断れなければ、あったかもしれない。
と言うか、別に恋愛であっても良いと思うのですよ。それで阿倍ちゃんの心が満たされたのなら。

ところで、道鏡という名前は誰が付けたのでしょうか。
阿倍ちゃんと出逢った時は既に"道鏡"だったのでしょうか?
私は「鏡」という文字に、とても運命的なものを感じます。
政治的には主体のなかった道鏡を、阿倍ちゃんは自分の鏡のようにして使っていたように思えるからです。
阿倍ちゃんが「私、こうこうこうしたら良いと思うんだけど、あなたどう思う?」と訊くと、
よくわかっていない道鏡は「それが良いと思いますよ。あなたは正しいですよ」と自信をつけさせる。
そんな関係だったのではないでしょうか。

大変長くなりましたが、これにて終了です。
最後まで気長なお付き合い、誠に有難うございました!

(「天平・ガール・ウォーズ 阿倍内親王 後編」おわり) 2008.10.26

参考:魔女ノ安息地>創作部屋>詩>歴史もの>生きるための幻 -阿倍内親王を想う-
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