談山神社で紅葉狩り(2013.11.17)

打倒蘇我氏を誓い合った葛城皇子と中臣鎌足さん。
二人が密談に選んだのは深い山奥。今の談山神社の辺りだと言う……
というわけで、2013年秋に紅葉の名所でもある談山神社へと詣でて参りました。
今回の史跡探訪も晶さんとご一緒です。晶さん、いつも本当にありがとうございます!

休日は混むだろうということで、平日に決行。少し寒いものの、幸いなことに良く晴れた日でした。
待ち合わせの鶴橋駅から近鉄で桜井駅まで参ります。
そこからは「どこからこんなに人が出て来たの?」と思うくらい混み合うバスで急な山道を登ること数十分。
着きました。談山神社、の駐車場。神社の入り口まで少し距離があるのですよ。
石の階段を下りたら、前方に何やら地味な立て札。
他の人たちは誰も関心を払わず神社へまっしぐら、なのですが、
「何かしら?」と近づいてみると、そこには『淡海公十三重塔』への矢印が!
私は一瞬、鎌足さんのお墓の一つなのかしら?と勘違いしたのですが、
晶さんが「不比等(淡海公)の供養塔! こんな所にあった!」と教えてくださいました。
晶さんは桜の時期にも談山神社にいらしていて、その時にはこの塔を見つけられなかったのだそうな。
うーん、確かに大津京の大友皇子のお墓並みに見つけにくいですねえ。

結構きつい坂を上った先にありました。山の中にひっそり。うん、わかりにくい。
この静謐な感じが不比等らしいような気もしますが。

さて、気を取り直して談山神社へ参りましょう。この神社の成り立ちは
法興寺(飛鳥寺)で行われた蹴鞠会で出会った鎌足さんと葛城皇子(中大兄皇子)は、
打倒☆蘇我氏のために、ここ多武峰で密談をしました。
それで、多武峰は後に談峯・談い山(かたらいやま)・談所が森などと呼ばれるようになりました。
669年に鎌足さんは亡くなり、その遺骨の一部を、678年に帰国した長男の定慧和尚が多武峰の山頂に改葬しました。

ということらしいです。
しかし定慧(中臣真人)はもっと前に帰国していて、鎌足さんより先に亡くなったという説の方が通説ではないでしょうか。
もし通説どおりだとすれば、多武峰を鎌足さんの聖なる墓所にしたのは定慧ではあり得ませんね。
「誰が? 何のために?」と考えると実に興味深いです。

まだ紅葉が始まったばかりの山門付近。広々としていて立派です。


本殿に行く前に、案内板に案内されて、ちょっと寄り道。
なになに、『恋の道』ですとな? 最近は何処の神社も縁結びをやりたがる(=女性参拝客が見込める)とは言え、
「鎌足さんを祀る神社に恋って似合わないですよねえ」などと話しておりましたら、
その先の東殿(恋神社)に飾られていたのは衝撃的な人物でした!!

鏡女王のドコが恋の女神なんだ!
政略結婚だらけの飛鳥時代においても、彼女ほど複雑な想いで結婚をさせられた皇族を私は知りませんぞ!!
(参照:中臣鎌足考察G「さよなら、秋風 鏡女王」
この像に恋愛運を頼んだら、すっごい苦労するような気がします。
まあ彼女のパートナーは二度とも大物ではありましたので、玉の輿狙いには良いのかしら(←失礼な……)

気を取り直して本殿へ。中に入れます。畳の部屋に『多武峰縁起絵巻』なるものが展示してありました。
歴史の教科書にもよく載っているやつですね。
葛城皇子が蘇我入鹿の首をはねているシーンで、男性は皆さん束帯、宝女王は十二単というアレです。
平安時代の藤原氏の誰かが「藤原氏の祖の功績を示さん!」と奉納したのでしょうね。でも、違和感ありすぎです。

本殿を出ると目の前には見事な塔が! 重要文化財の十三重塔です。
青い空を背景に、紅葉と常緑樹に挟まれた赤い塔。なんとも美しい!!


そのまま進んでいくと何やら水が流れてくる。脇の道を上がって行くと鎌足さんの墓所に行けるらしい。
紅葉目当ての皆様はほとんど登っていません。が、勿論私達は登りますとも!
急な山道も何のその〜♪。嘘です、かなりきつかったです。ちょっと足が笑いました。
墓所に行く前に、鎌足さんと葛城皇子が密談をしたと伝えられる場所へ寄って来ました。
鬱蒼と繁る木々に囲まれたその場所の名は『御相談所』
……って、ここは人生相談所かカウンセリングルームかい!?

いや、確かに人生を変えるような相談がされた所には違いないですが、突っ込まずにはいられませんでした(笑)


更に登った先に、鎌足さんの墓所がありました。
不比等の供養塔もそうでしたが、森の奥の目立たない場所にひっそりと、しかし整然と存在していました。
もし定慧による改葬が史実だとしたら、678年頃は中臣氏(藤原氏)の不遇の時代。
定慧の弟で後に藤原不比等を名乗る青年も、当時はまだ育ての家を借りて田辺史と名乗っていた頃でした。
そんな政情では鎌足さんの墓を目立つところには作れなかったのかもしれません。
縁の場所に程近く、しかし容易に人の踏み込めない場所に、定慧は敢えて父を葬ったのかも。
と、思えるほど行き着きにくかった、という文句でございます。

でも、それだけではないようです。
墓をぐるっと迂回すると森が一部開けていて、なんと明日香村らしき土地が見下ろせたのです!
飛鳥の都を捨てた鎌足さんを、飛鳥の地を望む場所に葬る。
定慧にどんな思いがあったのか、気になるところです。

上手く写せなかったのですが、二上山らしき連峰もここから見えました。

さて、登ったからには下山しましょう。またまた足が笑います。
震える足でもと来た道を戻ると、紅葉を背景に美しく反りたった屋根。重要文化財の神廟配所だそうです。


中の入ると華やかで色彩美しかったです。中国の廟みたいな雰囲気でした。唐風なのでしょうか?
こんな黄金の蓮も飾ってありました。


さて、ここで『万葉おみくじ』なるものを見つけます。なんと一回300円! 鎌足さ〜ん、お高いですよ!
しかし、この時代好きの性で、私も晶さんもちゃんと引いて参りましたよ。ええ。
あちこちで言っておりますが、夕陽さん、くじ運が超悪いのです。
この時点で大凶2回、凶1回、他に末吉等。逆に大吉以下良さげな結果はゼロでございます。
(世の中に本当に大吉なんてものが存在するのか、時々本気で疑っております。) 
でも、わざわざここまで来たんだもの。きっと良い結果が出るに違いない!と晶さんにも励まされて、引くと……
出ました。『中吉』でございます!
どのくらい良いランクなのかは知りませんが、夕陽さん史上初の快挙です。ありがとう、鎌足さん!
この万葉おみくじ、一つ一つにその時代縁の人の和歌が書いてあるようです。
夕陽さんが引いたのは大伴家持の歌でした。万葉集のメイン選者さんですね。
そういえば、お名前を良く聞く割にはあまりこの方の事を知らないな。勉強しようっと。

さて、おみくじを引いた後は紅葉を楽しみながら、神社の入り口に戻ってきました。
(ここで昼休憩。お茶屋で食べたこんにゃくがとても美味しくて、2つも持ち帰り用に買いました。)
本数の少ない満員バスでユラユラ揺られながら、再び桜井駅まで戻ります。
そこから、晶さんリクエストで『安倍文殊院』に参りました。
それまで安倍文殊院が桜井市にあるなんて全然知りませんでした。
阿倍野というと『あべのハルカス』で有名な天王寺付近を思い出して、きっと大阪にあると勝手に思っていました。
バスはあまり無いようでしたので、てくてく歩く。てくてく歩く。てくてく歩く……あれ、ここ何処だ?
恒例になりつつあるような迷子事件。っていうか、晶さん、毎度毎度巻き込んで申し訳ございません!
何とか辿り着いた阿倍文殊院は山手の住宅地の中にありました。近所にお住まいと思われる方が気軽にお散歩されていました。

安倍文殊院は古くからの豪族、阿部氏の縁の土地に建っているようです。
阿部氏と言えば、奈良時代の秀才で唐に行ったまま帰って来られなかった阿部仲麻呂、
そして平安時代の超有名陰陽師の安倍晴明。どちらも賢そうです。
有間皇子のママである小足媛も阿部氏出身。天武天皇の末息子・舎人親王の母の新田部皇女を産んだのも阿部氏の橘娘です。
藤原武智麻呂の正妻で、藤原仲麻呂の母である貞媛は阿部御主人(小足媛と橘娘の兄弟にあたる)の娘です。

さて、安倍文殊院と言えば有名なのはこのお堂ですね。ふふふ、我ながらベストショットの美しさです。


ここには古墳が遺されています。被葬者は安倍倉梯麻呂と言われているそうな。
孝徳天皇の時の左大臣だったかな? 小足媛のお父さんで、有間皇子の母方のお祖父ちゃん。
中に入れます。入ってきました。


阿倍文殊院には知恵の神様として阿部仲麻呂も祀られています。
で、こんなものがございました。2014年の干支のお馬さんです。毎年変わるそうです。

上の方に登って初めて、この絵馬のための土地なのだとわかりました。横から見た時はてっきり野菜畑かと思いましたもの。

この上の方というのは、安倍晴明が天体観測をした場所なのだそうです。その頃も安倍氏の土地だったのですね、ここは。
晴明堂なるものが建っていました。


と、盛りだくさんでございました。楽しかったです〜♪
晶さん、いつも本当にありがとうございます! また歴史探訪に参りましょう!!

(「談山神社で紅葉狩り」おわり2014.7.13)
Copyright (c) 2014 夕陽 All rights reserved.