始まりは何度でもある

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  5 at Capricornus  

 カプリコルヌスの神殿は十二宮流から遠く離れた、少し標高の高い窪地にあった。
 神殿の正面は首都の端に面しており、階段を下りれば街への入り口に着く。一方、神殿の奥は広々とした湿地に面して、神殿内に風が自由に行き来している。
 牧神パーンを守護神に戴くこの国は、牧神の国、風の国、湿地の国、緑の国、音楽の国、等々の別称で呼ばれる、どこかしらのんびりとした雰囲気の都市国家であった。肌寒い日はあっても冬は存在せず、ほぼ年中涼しくて過ごしやすい気候でもあり、人々もあくせく働くと言うよりは、その日その日を楽しく穏やかに過ごすことを好んでいた。
 しかし、今この国に漂っている空気は異常だった。
 不安や動揺、怒り、悲しみ、そして諦め。もうこれ以上は悪くはならないと、この十数年の間に一体何人の人が希望的観測を述べ続けただろうか。その無責任な観測をすがるように、あるいは特に考えもせずに信じて、今どん底に落ち込んでいる人はどれだけの数に上るだろうか。
 皆、当代パン卿の縁に期待をしていた。過度な観光開発によって引き起こされた問題を解決するために選ばれた騎士。少しくらい生活が厳しくなっても、誰もが彼を応援していた。そうしている内に、生活はますます苦しくなったが、強行に観光産業を規制する縁を止められる者は誰もいなかった。
 ようやく止めたのは守護神だけ。牧神パーンは縁の暴走を止めることを選んだ。
 そして、次の騎士となる候補として、五人の青年を選んだ。彼らの中から、今のカプリコルヌスを導く立場に最も相応しい者を見つけて欲しいと、他の11国の騎士に託した。



 選ばれた五人は早速、神殿の入り口である広間で顔を合わせることとなった。
「候補が五人というのは多い方なのだそうだ。それだけ、我らが守護神は次期パン卿を選ぶのを困難に感じておられるということだ。我々に課せられた使命は重いな」
「まあ、この国の現状を見れば当然だろうな。しかも、縁様のやってきたことの影響は小さくねえし」
 黒い帯布を頭に巻きつけた神経質そうな青年と、短髪の厳つい青年が向かい合って話し続けている。大きな声ではなかったが、音が神殿の石壁に反射して、残りの三人も聞くとも無しに耳に入れていた。
「しかし、まさか自分が候補になるとは思っていなかった。正直なところ、まだ戸惑っている」
 神経質そうな青年のぼやきは堂々たるもので、嘘臭さを感じさせるに十分だった。
「よく言うぜ、そんな自信に満ちた顔で。あんたはあれだな、初等科の頃から野心に燃えて、学級委員でも務めてきたって感じだ」
「そういう君は、候補となったからには、我こそが国を変えてやると意気込んでいる」
「ご明察。まったく頭のいい奴だぜ。あんた、名前は?」
「名を訊く時は自分から名乗り給え」
 厳つい青年は苦笑した。
「いいぜ。俺はターゼラム、通称タズー。二十一歳で、仕事は宿屋の親父だ。小学校までしか出てないから学はないが、金勘定なら得意だぜ」
 なかなか様になったウインクを投げて、お返しを促す。鷹揚に頷くと、一方の青年も口を開いた。
「私の名はティブライサだ。ライサと呼んで欲しい。歳は十七で、パン学院高等科で法律を勉強している」
 カミーラは思いっきり目を見開いて、ライサと名乗った青年を凝視してしまった。
 この国の守護神パンの名を課した学校は、カプリコルヌスの最高格を誇る名門校である。そんな所で学ぶ英才が騎士候補になっているなんて、高等学校に進んだとは言え、地方の二流校に行っている自分が急に恥ずかしくなった。
 ライサはカミーラの視線に気付いたようだったが、知らないふりをした。しかし、得意気な笑みを隠すことはできていない。隠すつもりもないのだろう。カミーラは彼を嫌な奴だと思った。
 タズーも少し驚いたように目を見張ったが、すぐに人好きのする笑顔に戻り、ライサと固い握手を交わした。そして周囲にも顔を向ける。
「お前らも聞いてるだけじゃつまんねえだろ? これから一緒に各国を回るんだ。ここはお互いをよく知っておこうや」
 一緒に各国を回る。それが彼ら、選ばれた者の運命だった。
 彼らの国カプリコルヌスの将来を担う者を選ぶために、彼らの人数と同じ数の国、つまり5国を巡り、審査を受けなければならない。
 黄道都市各国は自国の民から騎士を選出しているが、騎士の立場は国によって異なる。ある国では騎士が政府のトップであり、ある国では騎士が裁判を司る。ある国では宗教的な象徴であり、ある国では軍を率いて戦う将軍である。また、ある国では独裁者である。
 カプリコルヌスでは、直接選挙で選ばれた国民議会が政治を主導し、パン卿はその議会の議長とされている。歴代のパン卿の中には議長職を有名無実化していた者もいたのだが、それでも上手く行っていた。
 だが、時として状況は変わる。特にここ数十年は、豊かな自然を生かした観光開発に力を入れ、外貨を稼ぐ風潮が強まったため、パン卿はそのリーダーとして政治にも積極的に関わるようになった。
 東の隣国アクアリウスを源流とする十二宮流は、カプリコルヌスに豊かな水源と恵みを与える。広大な湿地には多種多様な水鳥や魚が生息し、水辺の景勝の美しさは黄道十二宮国家連合随一と謳われる。
 この湿地がカプリコルヌス最大にして唯一の財産である。埋蔵する天然資源も発達した国内産業もなく、作物の生育にも程々にしか適さないこの国では、観光業が手っ取り早い外貨獲得方法だった。豊かな自然風景、鳥のさえずりや清らかなせせらぎ、水辺で楽隊が奏でる音楽に耳を澄ませる。湿地に吹き続ける柔らかな風は病気療養に良しとされ、温泉施設やサナトリウムが建てられている。
 観光業と言っても職種は様々だ。タズーのように外国からの観光客用の宿屋を営む者もいれば、観光案内役、本など観光情報を売る者、土産物屋、その他様々な観光サービス業がある。学問の必要な職は少なく、この国の義務教育は十二歳の初等科までで、その後中等科以上に進むのは半数程度。カプリコルヌスの学問教育レベルは黄道都市各国と比較すれば平均以下である。
 民の生活を担う自然環境。しかし、それも決して無限ではない。限りある自然の恵みを管理し、次世代を残していくための行政的役割。それもまたカプリコルヌスの騎士、パン卿の務めであった。
 その役目を担う者が、この五人から選ばれる。
 五人はいずれも年若い者ばかりだった。
 黄道十二宮国家連合では「成年」は二十五歳以上、「未成年」は十二歳以下とし、十三歳から二十四歳までを大人でも子供でもない「青年」と定めている。騎士候補は青年の中から選ばれるのが慣わしだった。そして、正式に騎士に選出された者は青年の姿を保ち続ける。ただし、失策によって騎士でなくなるまでの間だけ。騎士である期間においてのみ、不老の力を与えられる。
 ここにいる五人の青年達は、もうすぐカプリコルヌスを出て、各国の騎士を訪問することになる。ライバルでもあるが、これからしばらくは苦楽を共にする、言わば旅の仲間でもあった。だからこそ、互いを知ろうというタズーの提案は妥当なものであった。
「そうね。じゃ、私から」
 長い黄色い髪をかき上げて、派手な顔立ちの女が応えた。
「ハーレンディアよ。呼ぶ時はヘレンで良いわ。年齢は機密事項、と言いたいけれど、どうせばれちゃうわよね。もうじき二十四よ。今は両親の食堂を手伝ってるの。よろしくね」
 ヘレンは色っぽい投げキッスで締めくくったのだが、その挨拶自体が明らかにタズーとライサに向けられていて、カミーラはまた嫌な気持ちになった。だが、二人ともヘレンの女っぽい仕草には興味を示さなかったので、少し溜飲が下がった。
 カミーラはタズーと目が合ったのを幸いに、頷いて、顔を真っ直ぐに上げた。
「私はカミーラ。本名はカミュロリエで、歳は十七。高等学校に通っているわ」
 タズーがヒュッと賞賛の口笛を吹いた。
「おいおい、すげえな。高等科が二人もいるのかよ。いいよなあ、勉強できて」
 高等科を卒業すれば行政機関への就職が可能だし、更に難関の大学への進学を経て、高給取りになることだってできる。タズーのように、勉強する時間が許されるのであれば、将来のために進学したいと考える者は多かった。
 しかし、カミーラが予想した通り、ライサは小馬鹿にした表情を見せた。嘲笑うような素振りさえ見せた。
 カミーラ自身も自分の通う学校のレベルが、決して高くはないことを卑下している。栄えある高等科のはずなのに、生徒も教師も熱心に勉強する意思が感じられず、卒業後に少しでも良い就職先を見つけることだけに意味を見出しているような雰囲気だった。
 カミーラが尊敬するルカも同じ学校の出身だった。高等学校では何も教えてもらわなかったと、常々嘆いていた。教師が紹介する田舎の就職先を断って、首都にある、もっと条件の良い会社に自力で就職した。
 カミーラも卒業後に後を追いかけるつもりでいた。彼女を頼るつもりでいた。ルカが死ぬまでは……
 自分でもそんな風には思っている。しかし、他人に馬鹿にされるのは気分が悪かった。
「まあ、色々だな。それで、最後の君は?」
 ライサの言葉に、しばらく返事は返らなかった。
 ひょろっと痩せた青年は窓の向こう、遥か彼方の空を眺めたまま、身動き一つしない。急かすようなライサの咳払いにも気づかず、カミーラが肩を叩いて、ようやく自分に注目が集まっていることに気が付き、ギョロッと大きな目を皆に向ける。
「ん?」
「ん、じゃない。君は誰だと訊いているんだ」
 完全に無視されていたことに気を悪くしたのか、ライサは声を荒げる。
 それにまったく頓着せず、青年はボサボサの白髪頭を掻いた。
「あー、自己紹介ね。おいらはサンダッドリー、皆はセディって呼ぶね。歳は十八歳で、笛吹きだよ」
 へにゃっと笑ったセディの腰には、彼の言葉に違わず葦笛がかかっていた。
 学校のレベルの差は違えど高校生が二人、宿屋経営、食堂手伝い、楽士。
 何とも珍妙な集団だった。共通点は騎士候補というだけで、生活環境はバラバラだし、性格もかなり異なっていそうだった。
 思わず守護神パンに問い質したくなる。
「どういう基準で候補を選出したんだ?」
 ライサの疑問に、一番遅くにここへ来たヘレンが吹き出した。
「そうよね。ここに来た時、こんなことでもなければ一生逢わなさそうな人が集まってる、って思ったのよ」
 艶やかな笑い声に被さって、石扉の開く鈍い音が響く。
 薄暗い闇に浮かんで見えるのは、パン神殿の巫子達の薄衣だった。
「皆の者、出立の刻である。我らがパン卿に守護神の栄光あれ」
 巫子長のしわがれた声に促され、五人は立ち上がった。
 旅立ちの時だ。
 これから五人は、騎士としての資質を見極める審査を受けるため、5国を訪れ、それぞれの国の騎士から面接を受ける。その5国は東回りの順番に宝瓶都市アクアリウス、双魚都市ピスケス、巨蟹都市カンケル、処女都市ヴィルゴ、そして人馬都市サギタリウス。
 まずは隣国アクアリウスへの旅路である。
「こちらへどうぞ、騎士候補の方々」
 若い巫子が案内してくれる。
 彼女に従って神殿の外に出ると、階段を下り切った所に大きな馬車が用意されていた。それを遠巻きに見守る大勢の民衆。
「期待は裏切れんな」
 ライサが自分に言い聞かせるように言った。
 民衆の中には、ライサが通うパン高等学院の旗を振る者が何人も見える。彼らは「ライサ、頼むぞ」、「君は我らの誇りだ」と口々に叫んでいた。ライサは手を振りながら、堂々とした態度で下りていく。
 タズーとヘレンは見送りの知り合いはいないようだが、集まった人々の声援に応えて、大きく手を振っていた。セディは眠いのか、ちょっとあくびをしながら、それでも時々頭をひょこひょこ下げている。
 カミーラはギュッと唇を噛み締めた。
 もしルカが生きていれば、必ずここへ駆け付けてくれただろう。「カミーラなら絶対に大丈夫だからね」と勇気付けてくれただろうに。
 空を見上げた。薄雲のかかった白っぽい空。
 ルカの魂はどこかに居る。そして、カミーラを見守っていてくれるに違いない。
「大丈夫、まだ戦える」
 口の中でルカ直伝のおまじないを唱えて、カミーラも皆の後を追って階下へ進んだ。
 セディがまだ馬車には乗り込まず、待っていてくれた。
「知り合いでもいたの?」
 相変わらずふにゃふにゃした顔で訊いてくる。
「うん、ちょっとね」
 セディはそれ以上は突っ込まなかった。カミーラの後に乗り込んで、馬車の扉を閉めた。
 窓から神殿が見える。
 カミーラはふと気がついた。縁に会っていない。彼は神殿の広間に、まったく姿を現さなかった。現騎士と次期候補は会ってはならないのだろうか。それとも、縁が顔を合わせるのを避けたのだろうか。
 多分、後者だろうと、カミーラは思った。自分が縁の立場であったなら、とても会う気になんてなれない。
 彼の功績は大きいと習ってきたし、今でもそれは認めている。しかし、もうそれでは駄目なのだ。生活の糧のない世の中で、絶望している人のことを救わなければならない。
 それこそが自分に課せられた使命だと、カミーラは改めて心に誓った。
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