始まりは何度でもある

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  4 at Virgo  

 快晴の陽光が豊かな流れに反射して、港中をきらきらと照らしていた。燦然と輝く町並みを、優しい風が吹き抜けていく。
 黄道十二宮国家連合の最も西に位置する処女都市ヴィルゴは、商売と遊戯の町だった。緩やかに流れる十二宮流に面した波止場にはひっきりなしに船が出入し、賑わいは昼夜を問わない。大半の船は国外から来た貿易船で、積荷を下ろしたり、買った物を積み込んだりと忙しい。一部の船は快楽街に遊びに来た観光客を下ろし、金銭を使い切った彼らを連れて帰って行く。もちろん、帰国料金を払える者だけを。借金を重ねて帰れなくなる者も少なくなかった。
 港に面した市場にはありとあらゆる品物が勢揃いしていた。
 「黄道十二宮国家連合の食料庫」とも言われる金牛都市タウルスからは、新鮮な農産物に肉類、そして乳製品が毎日絶やすことなく持ち込まれていた。水の都である宝瓶都市アクアリウスの清酒に、牧神の加護を受ける磨羯都市カプリコルヌスからは角笛や竪琴などの優美な楽器類、学術が盛んな人馬都市サギタリウスの書物、天蠍都市スコルピウスからは蠱惑的な輝きを放つ色とりどりの宝石、北隣りの天秤都市リブラからも法律書などが輸入されている。逆隣りの獅子都市レオはお得意の造船技術を生かし、職人達が港に修理工場を出していた。浜辺の国、巨蟹都市カンケルからは豊富な海産物、軍事国家の双児都市ゲミニからは丹念に磨かれた武具、白羊都市アリエスからは孤児達が作ったセーターなどの温かな衣類、ヴィルゴから最も遠く離れた双魚都市ピスケスからは愛神の惚れ薬「アフロディテ・マジック」やら天使の妙薬「トリッキー・エロス」やらと名付けられた麻薬の類までが仕入れられていた。黄道十二宮国家連合以外の国々からも様々な商品が持ち込まれ、更にここから各国へと輸出されていくのであった。
 これほどまでに各地の産物が手に入るのは、黄道十二宮国家連合の他の都市では不可能である。経済力が集中しているヴィルゴだからこそ、なせる業だった。
 そのヴィルゴを統べるペルセポネ卿は、わずか十三歳で騎士に任命された少年だった。
 活気あふれる市場から少し離れた丘の上に、冥界の花嫁ペルセポネを祀る白亜の神殿がある。女神ペルセポネは農業の女神デメテルの娘にして、冥界王ハデスの妻である。元々は「乙女」を意味する「コレー」という名であった女神に因んで、はるかな昔にはヴィルゴの騎士もコレ卿と呼ばれていたらしい。しかし商業の中心国として退廃的文化が花開く内に、冥界の女王としての名、「破壊する者」を意味する「ペルセポネ」の名が架されるようになった。
 処女都市の名を誇って、今でもヴィルゴの騎士のことをコレ卿と呼ぶ者もいる。しかし、現ペルセポネ卿はコレ卿という呼称を酷く嫌っていた。曰く、「壊れた街には破壊の神こそが相応しい」、と。
 たった十三歳で貿易国ヴィルゴを任された彼の治世は、もう九十四年にも及んでいる。実年齢は百歳を越えていた。彼の存在自体が神聖視されるようになってから、もう何十年もの時が経っている。
 任期が五十年を越える騎士はあまりいない。「同時期に二人居れば、その時代は安定している」と、社会学者は提唱している。現在はペルセポネ卿の他に、スコルピウスのガイア卿が在位五十八年目を迎えており、所謂、安定期であると認識されているようだった。
 しかし、この件について感想を求められると、現ペルセポネ卿は決まって皮肉気な笑みを見せるのであった。「そうかもね」という相槌の他に、ごくたまにではあるが、「色々あったんだけどね」と付け加えることもあった。
 任期の若い騎士にとってはペルセポネ卿は困難に逢った時に頼る、最大のご意見番であった。
 今回のパン卿選定もまた、困った事に位置づけられる出来事であった。二十三年もの間、騎士で在り続けた人の後任を選ぶのは現在最年少であるアリエスの郭でなくても難しいことなのである。
 そうして石造りの神殿の奥に位置する執務室には、また客が訪れていた。
「ですから、この選び方に私は納得がいかないのです」
 できるだけ穏やかな声で、しかし強行に訴えている客人は隣国、天秤都市のアストラエア卿だった。彼女の名はきん。オレンジがかった見事な金髪をキュッと引っ詰めて、スーツ姿も隙がない。騎士になる前は法律職にあったせいか、騎士になってもう十年経つのだが、そのきっちりした服装を乱すことは無かった。
 その謹から抗議を受けているのが現ペルセポネ卿である。名をりょう。現在の黄道十二宮国家連合の中で最も任期の長い騎士として、最長老の立場である彼だが、静かに紅茶を啜るその姿は幼い少年だった。
「君の気持ちはわからなくはないけどね、神託は下ったんだ。僕らにはどうしようもないよ」
 謹を見上げるのはくりくりと大きな紫の目。ヴィルゴの民からは、「神聖な乙女のアメジスト」と称えられる、本当に紫水晶のように深い紫色の瞳だった。
 幼い少年の姿なのに常に落ち着き払った態度、老成した表情、すべてを見透かすような高貴な色の瞳。彼が放つ気配は民からだけではなく、他国の騎士からも畏怖され尊敬を集める要因ともなっていた。
 見かけは二十歳代の謹ではあるが、そのキャリア差を十二分に意識して、陵に対しては丁寧な言葉を崩すことを決してしない。
「ですが、カプリコルヌスの自然保護のために長年に渡って法務的な助言を担ってきたのは、我がリブラです。今後どのように政策が進むにしても、アストラエア卿である私が次期パン卿に選定役になることは必然のはずです」
 謹が憤っているのは次期パン卿を選定する面接官に自分が選ばれなかったことだった。
 次期パン卿候補は五人、これはカプリコルヌスの守護神パーンによって選ばれた。それを受けて、他の11国からは面接官が同数選ばれる。
 すべての都市国家の神殿には各国間の移動用に使える円形の池が存在するのだが、その池の周囲には各国を示す12色の宝石が埋め込まれ、有事の時に反応を示す仕組みになっている。
 今回も、騎士候補が選ばれると同時に、選定役となる国の宝石が小さな光を放った。サファイア、パール、ルビー、アメジスト、そしてアイオライト。それぞれカプリコルヌスの南隣に位置する宝瓶都市アクアリウス、双魚都市ピスケス、巨蟹都市カンケル、処女都市ヴィルゴ、そして北隣の人馬都市サギタリウスを示している。
「選定役の決定も一応は神の意思だからね。特別な事情が無い限り変更は許されないよ」
「それは理解しています。ですが」
 謹の赤茶色の眼がキラッと光る。
「前々回のヘラ卿選定の際には、ペルセポネ卿は交替を認められましたよね。確か、エウロペ卿からフリクソス卿へと交替したと記憶していますが」
「ああ、あの時か。あれは正に特別な事情があったから」
 四年前、今回は選定役となっているカンケルのヘラ卿を選ぶ際、選定役の交替が申請され、最長老として陵はそれを許可していた。そして、選定役は金牛都市タウルスから白羊都市アリエスの騎士に変更された。
「あれはさ、タウルスも騎士が交替してまだ数年で政情が結構不安定だったし、時期的に刈り入れシーズンでもあったから。そういう止むを得ない事情の場合は交替も有りなんだ」
 農業国であるタウルスにとって、収穫の時期は忙しくて忙しくて、騎士であるエウロペ卿も他の国のことまで構っていられなかったのである。
「でも今回はそれに該当する国はないし、申請もない。しかも交替は隣国との交渉が普通だからね。今回、君と交替の可能性があるのは僕だけれど、それにはヴィルゴで暴動でも起こらないと無理かな」
「恐ろしいことを仰らないで下さい」
 謹は肩を落とし、ため息も吐いた。
「やはり無理ですか。直接選定に関われないのは残念ですが、わかりました、神意に従います。えんの意志を継いでくれる候補がいることを、せめて祈るばかりです」
 全然納得していないことを隠さない謹に苦笑しながら、陵は可愛らしい菓子がひしめく籠を差し出した。
「そう気を落とさないでよ。甘い物でも、どう? 落ち着くよ」
「あ、ありがとうございます。有難くいただきます」
 謹はどれにしようかと少し迷ってから、桃色の砂糖衣がたっぷりとかかった小さな丸い揚げ菓子を選んで、真っ白な皿にとった。
「うん、野苺のドーナツか。僕も大好きなんだ。どうぞ食べて。中にクリームが入っているから、服に付けないようにね」
「はい、お言葉に甘えて」
 一口にはちょっと余る大きさだったが、小さく分けると皿を汚してしまいそうなので、謹は一気に全部口に入れた。
「……」
 陵の言った通り、菓子の中にもあふれんばかりにクリームが籠められていたのだが、そのあまりの甘さは飲み込むのに苦労するほどだった。謹は手をつけていなかった紅茶をぐっと飲んで、ようやく一息吐く。
「どう? 落ち着けるだろう?」
「ええ、何とか」
 次第に胸焼けを覚え、別の意味で落ち着かない謹は少々引きつった笑顔で応えた。
 それをにっこりと受け流して、陵は話を戻した。
「神々の意志は仕方ないけど、最終判断は皆でやるんだからさ。それも大事な役目だよ」
 騎士選定の通常プロセスは三段階に分けられる。
 最初は各国の守護神霊による候補選定、今回はこの段階を終えている。
 次が選定役の騎士による面接。
 そして最後は、選定役に選ばれなかった騎士も含めて、全都市国家の騎士で話し合いが行われ、話し合いで決まらなければ記名投票に持ち込まれる。
 罷免予定の騎士は出席しても構わないが、決定権は持たない。
 また選定役以外の騎士には委任が認められているため、全騎士が顔を揃えることはほとんどなかった。謹のように他国の騎士選びに熱心な者もいれば、できる限り関わりたくないと放棄し続けている者もいる。罷免される騎士との関係も慮って、辞退するケースもあった。
「わかっています。会議にはもちろん参加するつもりです」
「君は真面目だね。まったく上手くいかないものだ。翻なんか「今回は絶対選定役にはなりたくない」って言っていたのに選ばれてしまったし、けいも気が重いみたいだし」
 敬は人馬都市サギタリウスのケイロン卿の呼び名である。騎士が交替する国の隣国は必ず選定役になるため、彼が面接官になることは必須だった。
「ケイロン卿の就任の時には、随分とパン卿が働きかけましたからね。やはり、アフロディテ=エロス卿の時も?」
「いや、翻は単にやりたくないって。自分より任期の長い人を引きずり下ろすのは気が引けて、嫌なんだってさ」
「まあ、そんな理由ですか」
 謹は呆れて見せたが、その気持ちがわからないでもなかった。
「確かにそういう意味では今回の選定役は難しい立場ですね。公平な気持ちでいようとしても、長い治世を担った先代と比較してしまいそうですし」
「それは僕ら年長者でも変わらないよ。特に縁みたいに長い付き合いだと愛着もあるしさ」
「そうなのですね。あ、すみません。私はペルセポネ卿ほど、他の騎士を知らないものですから」
 多少は謙遜の気持ちが入ってはいるが、謹の言葉は誇張ではなかった。
 たった12国13人しかいない騎士だが入れ替わりは激しいし、全員が親密というわけではない。
 陵のように最長老という立場では否応にも頼られ、各国の騎士と関係を深めることになる。
 しかし一方で、現在の第二長老や第三長老は会議などにもほとんど顔を見せないので、謹のように任期の長くない者にとっては馴染みの薄い相手だった。第二長老は隣国スコルピウスの騎士であるにも関わらず、だ。
 陵は謹に向かって苦笑を浮かべた。
「そんなものだよ。任期が長い分、それだけトラブルにも多く出遭うからね。たった13人しかいないんだ、多少気に喰わなくても協力しなければ……」
 リーン、リーン、リーン。
 陵の言葉は、けたたましい音で遮られた。
「まったく、ちょっと休憩したら、すぐにこれだ」
 そう文句を言っている間にも、再度呼び鈴が鳴り、陵はわざとらしく耳を塞いで見せた。
 鳴らし続けているのは神殿の巫子なのだが、その慌しい鳴らし方は明らかに焦っていた。来客の急かす声を、彼女達ではもう押さえられないらしかった。
「ごめん、時間切れだ。もうちょっと粘れるかと思ったんだけど」
「あ、申し訳ありません。お忙しい時でしたのに」
「気にしないでよ。いつものことだから」
 陵は肩を竦めて見せた。
「大したことでもないのに、うちの連中はすぐに僕を呼び付けるんだ。やれ、議会の報告書に目を通せだの、やれ、貿易協定に違反があっただの、海外から賓客が来たから会合に出ろだの、どれだけ僕の仕事を作れば気が済むんだ、って時々喚きたくなるよ」
 そう言いながらも、陵は後方の執務机に腕を伸ばして書類の束を掴み取った。更に色とりどりの金平糖をがさっと掴むと、口に無造作に放り込む。
「この分じゃ、次にまともなお茶に有り付けるのは真夜中だな」
「忙しいのは頼られている証拠ですよ。正直、羨ましいです」
「そう? 変わって欲しいよ、まったく。君の国は勤勉な民が多いって昔から言われるけれど、僕も相当な働き者じゃないかな。賞状ぐらいはもらえる?」
「ええ、もちろん。勲章ものですよ」
 謹の合いの手に笑みを浮かべて、陵は立ち上がった。
「パン卿候補がうちに来た後に、また来るといいよ。その場に同席させるわけにはいかないけれど、様子ぐらいは話せるからさ」
「はい、有難うございます。是非そうさせて下さい。あ、あの、ペルセポネ卿」
 飛び出して行こうとした陵を、謹は呼び止めた。
「ん、何?」
「あの、お忙しい時にこんなことを言って申し訳ないのですが、偶にはまともな……その、お菓子以外のお食事を摂られてはいかがですか?」
 陵はきょとんと振り返って、そしてニッと笑った。
「さて、そんな習慣は百年くらい前に忘れたよ」
 そのまま執務室から駆け出して行ってしまった。
 後に残されたのは謹と、山盛りの甘菓子達。
 陵が机上にこぼした金平糖を、謹は一つ摘み取って口に含んだ。
 甘い砂糖の塊であるはずのそれは、その時何故か、彼女には酷く苦く感じられた。
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