月と太陽のめぐり

3 古代月神降臨


 最初に異変に気づいたのは、司令室ブリッジで当直に就いていた隆弘だった。
『皆、至急ブリッジへ』
 突然の放送、それも緊迫感と焦燥感の漂った声に、他のメンバー達はブリッジへと急いだ。
 まずはブラッドが飛んで来た。ぐっすり寝ていたらしく、癖のある赤毛が鳥の巣のようになっている。それでも一番早く駆けつける辺り、さすがは軍人である。
「タカ、何があったのさ?」
「ライフシステムが切られてる」
「へっ?」
 聞き間違えたかと、指で耳の穴を掃除するブラッドに、隆弘はもう一度叫んだ。
「誰かがライフシステムのプログラムを解除してるんだよ!」
「――ご、ご冗談を」
 ブラッドはコンソールパネルに駆け寄り、隆弘の言ったことが事実だと認めざるを得なかった。プログラムが人為的に書き換えられ、生命維持装置が一つ、また一つと切られて行く。
 生命維持装置は水や空気だけでなく、人間が生きるためのエネルギーすべてを制御する機関であり、特にこの船は最低限の人員で動かせるように、精巧なシステムが組まれている。これ無しに船内で生きることはできない。
「自殺志願者でもいるのか?」
 リオエルドがぼやきながら、ブリッジに入って来た。
「廊下が非常灯に切り替わったぞ。酸素供給も最低レベルまで落ち込んでいた」
「さ、酸素まで……タカ、何とかならないのか?」
「今やってる」
 スクリーンでは幾つもの数値と記号が目まぐるしく変化している。
「こっちの指示を受け付けないようになってる。おかしい、ブリッジの命令は最優先のはずなのに」
 リオエルドは空色の目を細めた。
「つまり、誰かがシステムへの命令権を完全に乗っ取っていると?」
「無茶な。そいつ、どこから侵入して来たのさ? 有り得ないさ」
 ブラッドの言う通り、ここは宇宙を旅する船の中。物理的に考えて、搭乗している彼らに気づかれることなく侵入できるはずがない。
 では、残りのメンバーの仕業だろうか。
「エラく手の込んだ悪戯さ」
 真っ先に疑われたのは、やはりエフゲニー。彼の小賢しさを持ってすれば、このくらいの事態は起こしかねない。
「いや、リオエルドの部屋だけならともかく、船全体に被害が及んでいる。エフゲニーの仕業とは思えないな」
「……タカ、そういう判断の仕方はやめてくれっ」
 凄むリオエルドを無視して、隆弘はパネルを叩き続ける。
「でも、ミカとも思えないな。彼の専門は医学だ。システムのハッキングなんて――」
「そうでもないよ」
 また扉が開いて、ようやくエフゲニーが現れた。ご自慢の金髪がぺったりと頭に張り付いている。どうやら、こちらはシャワーの途中だったらしい。
「確かにミカは医者の卵だけど、コンピュータにもかなり詳しいはずだ。艦長は緊急事態対処能力として、システム関係の資質も問われるからね」
 言い捨てて、不機嫌にドスンと椅子に座る。
「まったくもう。いきなり冷水になるし、挙句の果てには給水が止まるし。で、何があったの?」
「現在進行形で、ライフシステムが解除されてるさ」
 疑っていた素振りなど微塵も見せずに、ブラッドは手短に説明した。
 エフゲニーの形の良い眉が寄って行く。
「僕達、死ぬじゃん」
 冷静な判断である。
「やだよ、こんな所で死ぬの。対処策は二つ。タカはコンピュータの主導権を取り戻して。ブラッドは即刻犯人を捕まえて」
「犯人って、誰さ?」
「ミカだよ」
「えっ、あ……」
 きっぱりと断言されて、ブラッドは二の句が繋げずに黙った。
「ここにいるメンバーは四人。残る一人は来ない。今も攻撃は続いている。そして、この船に外部からの侵入者など有り得ない。よって犯人はミカだ」
「いや、でもさ……」
「誰にしろ、めさせなければ」
 尚も言い募るブラッドを、リオエルドが遮った。
「ここで話していても埒が明かない。船内の生体反応を絞って、ミカの居場所を特定しよう。すべてはそれからだ」
「建設的な意見だな」
 隆弘は船全体に生体反応サーチをかけた。人間以外の生物、例えば虫やかびにも反応してしまうので、人間の平均体温を条件に指定して探索していく。
「居た……格納庫?」
 格納庫は移動用の小型機や重機材を保管する場所であり、普段は人の出入りがまったくない区域だった。ブラッドが時々、戦闘艇の点検に行く程度である。
 そこのモニターに映し出されたのは、床にうずくまるミカだった。手元のコンピュータが光っているのは、ライフシステム書き換えの指示がそこから出ているからだろうか。
「止めさせて来る。リオ、手伝え」
 荒事担当のブラッドが、文人ながら力のあるリオエルドを伴って、ブリッジを飛び出して行く。
 隆弘はじっとスクリーンを見つめ、異常に気がついた。
「……震えてる?」
 鮮明な映像ではないのではっきりしないが、確かに肩を震わせている。時々胸を掻きむしり、苦しそうに体をよじった。明らかに様子がおかしい。
「あっ、薬!」
 エフゲニーは叫び、胸ポケットに手を当てた。
「しまった、すっかり忘れてた」
「薬って、ミカの持病の?」
 苦しんでいるのは薬を飲まなかったからだろうか。しかし、それとライフシステム解除の目的が繋がらない。
 隆弘はパネルを操作し、格納庫との通信回線を開いた。
「ミカ、聞こえるか?」
 ややあって、ミカがゆっくりとモニターを見上げた。
「よく聴いてくれ。まず、そのコンピュータのプログラムを廃棄するんだ」
 隆弘の指示に、ミカは反応を見せない。血走った目が虚ろな視線を投げるばかり。
 再度説得しようとする隆弘を押し退けて、エフゲニーがマイクに向かって叫ぶ。
「ミカ、ごめん。君の薬、僕が持ってるんだ。すぐに届けに行くから」
 スクリーンの中で、ミカがすっと立ち上がった。何かを言っている。
「ミカ、よく聞こえない」
『……ずるい……私は……私は独りなのに、あなたばかり……ずるい……』
「えっ、何て?」
「エフゲニー、どいて。音声を拡大する」
 隆弘がパネルを叩く間にも、ミカの言葉は続いている。
『……せない、絶対に許……ない。アル……ス……ルテミ……』
 高い声色。ミカの声であり、しかし口調は明らかに彼ではない。
『許せない、アルテミス』
 はっきりと聞こえた言葉は、殺意を含んでいた。ミカの右手がコンピュータの操作パネルに置かれる。
「ミカ、待てっ!」
 隆弘が叫ぶのと、どこかで轟音が上がるのが同時。そして、画面はブラックアウトした。
 続いて、ゴゴッと地響き。不規則な振動が繰り返され、はっきりと揺れを感じる。やがて緊急事態警報が鳴り響き、すべての振動が停止した。
「……タカ、この船、停まってない?」
「停まった……推進機関が停止してる」
 唖然としてスクリーン表示を見上げる二人に、通信が入った。
『格納庫の壁が爆破された』
 リオエルドがどこかの通信機から怒鳴っている。
『爆破された箇所は動力部の真上だ。安全確保のために、ブラッドはそちらへ向かった』
 エフゲニーは叫び返した。
「リオはミカを捜せ。まだ格納庫か、その付近だ。遠くへは行っていない。船内サーチは当分使い物にならない。僕もすぐに行く」
 了承の言葉も聞かずに通信を切って、今度は隆弘に命令する。
「ミカの居場所がわかり次第、全域に放送して。ライフシステムは後で良い。空気漏れと火災のチェックを怠るな」
 艦長でもないのにテキパキと指示を出し、エフゲニーもブリッジを飛び出した。
 階段を降りて船の下層部へ。廊下を走って、辿り着いた格納庫付近にはミカもリオエルドもいない。人の気配がないのを確認して、さっきと異なる階段を駆け上がる。
 居住区を探し回って、曲がった角は医務室の前だった。扉のロックを確認し、また走り出そうとした時、唐突に扉が開いた。
「……ミカ、居るの?」
 返事はない。
 リオエルドを呼ぶべきか、少し迷った。しかし彼がここに来るまで、この戸が開いている保障はない。
 嫌な予感がした。
 スクリーンの中のミカは、隆弘ではなくエフゲニーの声に反応した。反応して、激情して、破壊した。
 ミカが呼んでいるのは自分だ。
 直感すると同時に、胸が冷えるのを感じた。
 殺意。
 扉は殺意によって開けられた。何を考えているのかは知らないが、歓迎してくれるのなら、敢えて罠に乗ってやればいい。
 呼吸を整え、官服の裾をめくる。足首に固定された超小型の麻酔銃。船内では銃の所持が規制されているが、彼は社会的立場上、護身を理由に特別に携帯を許可されていた。決して得意ではないが、威嚇には使えるし、誤射した場合でも相手を眠らせるだけで済む。
 リオエルドへの目印に上着を落とし、小さな銃を掌に隠して、暗い医務室へと入る。
 無機質な音がして、やはり扉が閉まる。ご丁寧に自動ロックがかかる。
 中央の椅子に彼は座り込んでいた。
「やあ、ミカ。お招きありがとう」
 銃を構え、ゆっくりと傍まで近寄る。
 すぐに違和感を覚えた。ミカは背もたれに顔を伏せたまま、嗚咽を上げている。
 本当にミカなのだろうか。エフゲニーは心配になった。オカルトは好きではないが、目の前に存在するのが、ミカの姿を乗っ取った別人のように見える。
 右手で銃の引き金を準備しながら、その顔を上げさせる。栗色の瞳は虚ろな視線をあらぬ方向へと投げるばかり。
 おかしいと改めて思った瞬間、ばっと手首が掴まれた。
 飛び退こうとした時には、もう遅かった。
 右手を叩かれ、銃を取り落としてしまう。慣れない物を持つものじゃないと後悔しつつ、慌てて拾おうとして、背中に体重を感じた。
 首にかかる圧力。無様に倒れて、背後から首を絞められている。
「や……やめろっ、ミカ――っ!」
 必死で呻いても、まともな声にならない。
 全身が痙攣する。頭が真っ白になって、意識が混濁していく。
「ずるい。いつもあなたばかり」
 薄れ行く意識に聞こえるのはミカの声で、でもミカの言葉ではない。
「私は独りなのに、あなたは愛されている。ずるい……許せない、アルテミス」
 何を言われているのか全然わからない。
 かすれる声で精一杯叫んだ。
「君、は……誰?……」
 耳に直接唇が当てられた。
「私は……私はセレネ」
 意識が飛んだ。
 それでもミカの手の力は緩まない。栗色の目はいつの間にか狂気で血走っている。
 と、扉が爆破された。荒々しく乱れた足音が聞こえる。足早にこちらへと近づいて来る。
 まさか――
「……エンデュミオン?」
 期待に目を輝かせて振り向いた瞬間、首に衝撃を感じた。当て身を喰らわされたのだと気づく前に、ミカはエフゲニーの上に折り重なって倒れ、意識を失った


 ライフシステムの停止、ミカの豹変と襲われたエフゲニー。月の女神の暴走劇はまだ始まったばかり。
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