月と太陽のめぐり

6 旅立ち


 ライフシステムは復旧間近である。動力機関等の修復も驚異的なまでに早い。ブラッドと隆弘が、ほぼ不眠不休で作業にあたったおかげである。
 急を要する仕事ではあったが、それでも根を詰め過ぎだった。二人の目の下には、若者に似つかわしくない隈が陣取っている。
 今にも過労で倒れそうな二人ではあったが、エフゲニーとリオエルドのことを思うと、ゆっくり休む気になどなれなかった。
「俺達にできることは、このくらいさ」
 閑散としたブリッジで、ブラッドは大きくため息をついた。
 いつもの快活さを失った彼に、こちらも疲れ果てた隆弘が力なく笑う。
「今はそれで良しとしよう。僕達が焦ったってしょうがない。エフゲニーも少しは安定したし」
「……あれで安定?」
 確かに安定した。安定はしたが、それは対前日比だ。そこに至るまでが大変だった。
 リオエルドによる荒治療の後、アルテミスのせいなのか、それとも「治療」による疲労のせいなのか、エフゲニーはとにかく昏々と眠り続けていた。そしてようやく目覚めた時、その人格は「彼」ではなかった。
 再覚醒したアルテミスは、まずは心配そうに覗き込む空色の瞳に向かって絶叫。リオエルドを殴り倒し、集中治療室を脱兎の如く抜け出すと、見つけ出したミカに襲いかかった。
 駆けつけた隆弘に羽交い絞めにされたものの、すぐに振り払う。更に怒りを深めたのか、八つ当たりを開始。手当たり次第に機材は投げるし、意味不明な罵詈雑言。ブラッドが麻酔銃で大人しくさせるまで、やりたい放題だった。
「人間相手に麻酔銃を撃ったのは初めてさ」
「仕方ない。今のエフゲニーは半分人間じゃないことだし」
「タカ、そういう問題じゃないさ」
 その後も傍迷惑な女神様は出没し続け、そのたびにリオエルドが押さえつける羽目に。ようやく、六時間に一回の出現くらいで安定しているが、それでも迷惑には違いなかった。
「まあ目下の幸いは、当人達が大して嫌がってない点さ」
 茶化した言い方ではあるが、ブラッドの言葉に偽りはない。
 エフゲニー本人が割と良かった、と言うほど、身体の相性は悪くなかったらしい。もっとも、どこまでが本気なのかはわからない。明らかに大泣きした後の顔で無理に笑いかけられても、説得力がなかった。
 過酷な運命に必死に耐えているが、その微笑みは弱い。いつまで保たれるだろうか。
 その表情を思い出し、隆弘は大きく肩を落とした。
 エフゲニーだけではない。リオエルドは死にそうなくらい疲労困憊だし、ミカは今にも倒れそう。隆弘とブラッドも、心身ともに限界だった。
 沈黙のブリッジ。その扉が静かに開く。
 ミカが幽鬼のように立っていた。青白かった肌は土気色になり、痛々しいほどである。
「まだ仕事をしていたのか? 二人とも少し休んだ方がいい」
「ミカ、それは自分の顔を見てから言うさ」
 ブラッドの助言に、ミカは首を横に振った。伏せた瞼から涙が零れる。
「ほら、誰だってそう言うじゃん。まったく、美人が台無しだよ」
 場違いなくらいに明るい声が響いた。
 女神とは違う、温かな口調。人を喰った笑みを貼り付けたエフゲニーが、ミカの背を押しながら入って来た。
 この状況下にあっても、その声と美しいアメジストの瞳だけは鮮やかさを失わなかった。純真無垢に輝き続けている。
「エフゲニー……調子はどうさ?」
 彼はリオエルドに支えられて椅子に座ると、ブラッドに肩をすくめて見せた。
「見ての通りだ。女神と身体の中で喧嘩中。でも、大丈夫。絶対勝つから。ねっ?」
 同意を求められたリオエルドは、苦笑いをして何度も頷いた。
 ミカは顔を伏せたまま、エフゲニーの傍に座る。その双眸は疲労と罪の意識で痛々しいほどに濁っていた。
「これからのことを決めたい」
 ミカは神妙な顔で言った。
「この状態で次の寄港地へ行くことはできない。任務は中止だ」
 任務目的は国際交流。船が動くようになっても、この状況で他国に行くことはできない。
「既に本国ガイアから進路異常についての問い合わせを受けている。まだ何も報告はしていないけれど――」
「報告するべきじゃない」
 エフゲニーはきっぱりと言い切った。
「この数日のことは他言無用だ。ミカ、いや、セレーネ族については無関係を通す」
 伏せ目がちだったミカが、跳ねるように顔を上げた。
「できるはずがない。アルテミスのことはどう説明するつもりだ? 帰還すれば、すべてが知られてしまう」
「シェスタコフの政治的影響力を嘗めないで欲しいな。アルテミスのことも知らせない。理由は何とでも付けられる」
「……無理だよ、エフゲニー」
 努めて冷静に、隆弘が言った。
「確かにシェスタコフの影響力は強大だ。でも、当局と接した時に君がアルテミスじゃないという保証はない」
 エフゲニーは笑顔を消し、唇を噛んで黙り込んだ。
「それに、仮にも公式使節団の任務不履行だ。そう簡単に当局が納得するとは思えない。当然、追及されるべき事項だろう」
「じゃあ、どうすればいいのさ。僕には……」
 青褪めた顔でエフゲニーは俯く。
 しばしの沈黙の後、リオエルドが口を開いた。
「俺に提案がある」
 皆の、いやエフゲニー以外の視線がリオエルドに集まった。
「シェスタコフ家が事実を隠蔽したとしても、セレーネ族に責任追及の累が及ばないという保証はない。だから、エフゲニーは帰還すべきではない」
「そんな……どうするのさ」
 ブラッドの声は震えていた。現実の残酷さと、何も手が打てない自分の無力さに。
 リオエルドはエフゲニーの顔を上げさせた。
「エフゲニーはミカを巻き込みたくない。そうだな?」
「何を言ってるんだ。巻き込んだのは僕の方なのに」
 ミカの抗議を二人は聴こうとしない。
 エフゲニーは力なく頷き、ミカに笑いかけた。
「僕とミカ、どちらの責任と言うわけでもない。僕達が出逢ってしまったことが要因なんだ。だから、これから起こるシェスタコフの権力闘争には誰も巻き込みたくない」
「……当主の座を諦めるのか?」
 端正な顔が困ったように歪められる。
「それも仕方ない、かな。実を言えば、僕は当主の座にあまり興味がないんだ。ただ、父がずっとトップに縛り付けられているのが、とてもつらくて。力になりたかっただけだし」
「でも、エフゲニーがいなくなれば……」
「両親は余計に苦しい立場に追い込まれるだろう。だけど、他にも候補はいる。歳の違わない姪がいてね。これがまた優秀なんだ」
 くすっと笑って、視線を落とす。
「僕の家のことは気にしないで。どんな手でも考えられるお家柄だからさ。むしろ、自分達の身の安全を心配して欲しいな」
 茶化して見せるエフゲニーに、誰も何も口を挟めない。
「なら、決まりだな」
「……うん。行くよ、リオと一緒に」
 リオエルドとエフゲニーの会話に、ミカは眩暈(めまい)を覚えた。
「逃げる……つもりなのか?……」
 ミカの問いに、隆弘とブラッドはポカンと口を開いた。
 リオエルドは肩をすくめた。
「ブラッド、お前の戦闘艇を借りる。いや、譲ってもらうぞ。あれがこの船の小型機の中で一番速いからな」
「ま、ま、待て。状況がよく掴めないさ。戦闘艇で逃げるって、二人で? 逃亡って言うか、それじゃ――」
「うーん、要するに僕とリオで駆け落ちかな」
「駆け落ちぃ?」
 ブラッドは泡を吹き、隆弘は泣きそうな顔で怒鳴りつけた。
「それで逃げ切れると思ってるのか! その前に男同士だろっ。アルテミスのことがあるからって、そこまで宗旨替えしなくたっていいじゃないかっ」
 エフゲニーは冷静に微笑んだ。
「意外に頭が硬いな。逃げ切ることは可能だよ。少なくとも僕の家は醜聞を恐れて僕を捜さない。駆け落ちで当主が消えても、放っておく人達だからね。当局にもその方向で圧力をかけるだろう。僕が帰還してアルテミスのことを知られるより、追及はずっと楽になる」
「……人生を捨てる気か」
 隆弘は自分の口調が酷く投げやりになっていることを自覚したが、訂正する気力もない。
「しょうがないよ」
 菫色の瞳がリオエルドを見上げる。
「俺に支障はない。学生の身だし、エフゲニーと違って家族もいない。捨てるものは何もないな」
「嘘だっ……」
 ミカは叫んだつもりだったが、まともな声にならなかった。
 リオエルドは選んだのだ。エフゲニーの苦しみを共有する道を選んでしまった。運命共同体になることを。
 月と太陽。共にあるべき対の存在。
 月のためだけに輝くことを、太陽は選んでしまった。
「それが君達の選んだ道なのか?」
 エフゲニーとリオエルドは顔を見合わせ、静かに頷いた。穏やかで、それでいて力強い意志。
 ミカは床に崩れ落ちた。幾筋にも流れる涙を隠すこともできず、嗚咽を上げる。
 ブラッドはがっくりと肩を落とし、赤毛をわしゃわしゃと掻きながら言った。
「わかった。俺はもう何も言わないさ。できる限り協力する」
「早速で悪いが――」
「戦闘艇の準備、だろ? いつでも動けるようにしておくさ」
 リオエルドの頼みを先読みして、ブラッドは力なく立ち上がり、格納庫へと出て行った。
「駆け落ち、それだけで済むと思うか?」
 ミカを助け起こしながら、隆弘は言った。
「ライフシステムの解除や格納庫の壁が爆破されたことは、どんなに直しても、船自体の記録を調べられればわかってしまう。辻褄を合わせなければ」
「何か良いアイデアがあるの?」
 エフゲニーが身を乗り出した。
 隆弘はリオエルドをちらっと見た。
「リオを悪役にして良いなら」
「良い良い。どうとでもしてやって。むぐぅっ――」
 調子に乗る口を大きな掌が乱暴に塞いだ。
「で、具体的なシナリオは?」
「……怒るなよ」
「怒らない。言え」
 凄むリオエルドに少し怯みながら、隆弘は大きく息を吸い、一気に捲くし立てた。
「リオとエフゲニーは恋仲になったけれど、エフゲニーは家のことを考えて踏み出せない。業を煮やしたリオがミカを人質にとり、エフゲニーに自分と逃げるよう脅迫。僕を脅迫してライフシステムを解除し、阻止せんとするブラッドを阻むために船内を破壊し、戦闘艇を奪って逃げた」
「…………」
「うわっ、すっごい悪役」
 硬直した掌から逃れたエフゲニーが、ケラケラと陽気に笑った。
「めちゃくちゃだけど、一応筋道は立ってるね。リオには青筋立ってるし」
 エフゲニーの言葉通り、リオエルドのこめかみはピクピクと動いていた。大きくため息をつくと、エフゲニーの耳に唇を寄せる。
「何でこいつのために、そんなに堕ちなければならないんだ」
「あはっ、嫌な奴」
 二人が無理に作った微笑ましい光景に、隆弘は目を逸らすしかなかった。
 ミカは何も言わなかった。
 彼にできるのはただ祈ることだけだった。最善の結果が導かれることを。



 準備を他のメンバーに任せ、二人は荷造りのためにブリッジを後にした。
「ミカ、これからどうするつもりなんだろう」
 歩きながら、エフゲニーはぽつりとつぶやいた。
 セレネを抑えるための薬は完璧ではない。セレーネ族の血を引く者に逢うのも、これが最後とは限らなかった。また今回のような騒ぎを起こす可能性はある。
 捜すのだろうか、新たなエンデュミオンを。それとも取り戻すのだろうか、愛し合った彼女を。
「どちらも難しいな。お前ならどうする?」
「……君と離れたらってこと?」
 立ち止まって、エフゲニーは瞼を閉じる。
「さて、どうするかな。少なくとも、僕を一度捨てた人間を捜そうとは思わない」
 声色は明るくて、でも震えていて。
 リオエルドは白い額に唇を落とした。
「悪かった。心にもないことを訊いた」
「いいよ、別に……君が僕を捨てても怨んだりしないから。君は巻き込まれただけなんだもの。それに、僕は独りでいることに結構慣れてるからさ。だから、だから――……」
 つらそうに続けるエフゲニーを引き寄せて、唇を強引に塞ぎ、深く重ね合わせた。菫色の瞳からあふれた涙が止まらなくなるまで。
「自分だけで耐えようなんて思うな」
 独りにはしない。ずっと共にあるから。
「傍にいさせてくれ、お前の傍に。それだけでいいから」
 月のためだけに太陽が輝くことを約束するから。
 アメジストの涙は静かに床へと零れていった。



 次の目的地に寄港許可申請が送られることはなかった。当局による捜査が行われた結果、巡洋ルートに入るはずのない無法地帯で、船は発見された。
 最低限の生命維持システムが細々と活動する中で、艦長を含めた三名のメンバーが意識不明の状態で見つかった。
 しかし、捜査の第一級焦点となったシェスタコフ家嫡男、他一名の姿が確認されることはなかった。

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