スカーレットメトロポリス

   〜緋色の虚空都市〜

Act.2 報告書


「アンドロメダの現代奴隷制に関する調査」
     メディア大学 総合知識群 複合社会学部 人間科学科 教授
     世界人権擁護協会 顧問
     ワリス アラップ

 エルフ族。彼らが何故にそう呼ばれるようになったのかは、はっきりしていない。
 有力な説では、地球時代の西洋神話に登場する妖精エルフのように、耳が尖っているからだと言われている。しかし、尖った耳は彼らの宇宙進出の結果であることが、生物学的に証明されている。
 エルフ族は数千年という長い間、定住する星を持たず、その流浪の過程で知能力が落ち、逆に急激に五感が発達したことがわかっている。尖った耳は聴覚の著しい発達の結果である。
 その身体的変化の以前から「エルフ族」の名が存在した事実を鑑みれば、有力説は偽りである。
 別の説では、今は普通の人間と比較して平均寿命が極端に短いエルフ族であるが、かつては伝説のエルフのように長寿種族であったために、この名がついたと言う。今でも希に、長い寿命を持つエルフ族が生まれてくるという話もある。その割合は数千万分の一以下と言われ、真実か否かを確認することはできない。

 彼らの文化的特徴として、エルフ族の誰もが、(それこそ赤子から老人まで全ての年代の人が)地位や職業を問わず、帯刀していることを挙げることができる。人によっては剣ではなく弓矢や槍、矛、楯のこともある。
 彼らには子供が生まれて数日の内に御宮参りに行く習慣があり、行った先の神殿で剣を子供のために購入する。一種のお守りのようなもので、戦いの女神アテナの加護を願うのだと言う。
 それらの武器を帯びないのは保護者が何らかの理由でいないか、あるいは生後すぐに遺棄された者である。

 エルフ族の様々な面において特殊な発展は、地球を離れて何世紀もの間に旅を続けた結果である。やがて、かつての母星と類似した環境を持つ惑星群ポセイドン第3惑星の衛星群に腰を落ち着けた。
 時が経つにつれて、エルフ族は種族内で互いに醜く競い合い、また些細なことで争うようになった。そして、連邦成立のUE900年頃までには、階級差が形成されていた。最高位の神族層アメシスト(紫)、貴族層ラピスラズリ(青)、知識人層ジェダイト(緑)、商人層ターコイズ(黄緑)、労働者層ピスタシオ(黄)、農民層メイズ(橙)、そして奴隷層スカーレット(赤)。
 上位四層のアメシスト(紫水晶)、ラピスラズリ(瑠璃)、ジェダイト(翡翠)、ターコイズ(トルコ石)が宝石の名を冠するのに対して、ピスタシオ(木の実)とメイズ(玉蜀黍)はいずれも食物である。そして、最下層のスカーレットは炎の色だ。海神ポセイドンの名を持つ惑星群において炎の名を冠されていることは、彼らの貶められた境遇を示していると邪推しても過言ではないだろう。
 その厳格な階級が形作られて以来、階級間での婚姻その他将来的に階級を越える可能性を導く行為の全てが、社会基盤を壊すという理由で妨げられてきた。

 更に時を経たUE1700年代に、世界は奴隷制廃止の方向へと転換した。連邦主導の政策で、まずはUE1789年に、世界全体に知られた売買対象であったセレーネ族(月の民)への保護策が打ち出された。首都圏惑星群ガイアで施行された法律は、試行錯誤と反対勢力への弾圧とを重ねながら、連邦内全土へと広がりを見せた。
 エルフ族内での奴隷制が注目を集めて、それが廃止へ向かったのはガイアでの法律制定から数十年後のUE1863年、連邦政府の名で公布された法律は「奴隷制の将来的廃止」を明確に謳った。
 しかしながら、階級制度は文化的要素を理由に廃止には至っていない。スカーレット層という階級が存在する以上、奴隷制は消えたとは決して言えない。
 その一方で、奴隷制の将来的廃止の指針を受けて、スカーレット層の解放が進んでいることもまた事実である。ガイアから惑星群ポセイドンに乗り込んできた非営利組織の他に、既に解放された元奴隷達で形成されるスカーレット層解放組織『PHOINIX(フォイニクス)』等の団体が、自由と階級の撤廃を求めて活動している。

 惑星群ポセイドン第3惑星に属する6衛星の内、ペガスス、ケトゥス、ケフェウス、カシオペイアの4都市では、UE1900年までにほぼ完全な奴隷制廃止と奴隷解放に成功している。以後、差別要因として残る階級の撤廃に臨んでいる。
 しかし、ペルセウスではスカーレット層の3割、またアンドロメダでは8割が未だ奴隷として搾取される立場にある。特に、アンドロメダでは住民登録が義務化されていないため、搾取されているスカーレット層の数を把握することは難しい。
 アンドロメダ都市民で住民登録がない者は、アンドロメダ内の一切の公的機関並びに交通機関が使用できない。奴隷であるスカーレット層の者が住民登録を行うためには、主人の許可証が必要であるが、許可されることは至極希なことである。許可さえしなければ、奴隷の逃亡はほぼ完全に防げるためである。 

 この衛星都市アンドロメダにおける奴隷制根絶が達成された時こそ、エルフ族の自由と平等が完成されるものと断言できる。


『ヘレネ・シティ(愛人街)』

 惑星群ポセイドン第3惑星衛星国アンドロメダ東南部には、連邦軍統括の大きな大きな基地をぐるりと囲み、槍のようにそびえ立つフェンスが見られる。それを挟んで基地の真裏にあたる地区は、神話のアンドロメダ姫の母国に因んで、エティオピア地区と名付けられている。
 しかし、現地の者でこの地区をその名で呼ぶ者はいない。統括基地の者ですら、ここをヘレネ・シティ(愛人街)と呼んでいる。
 ヘレネ・シティは連邦軍統括基地が現在の地に移転された時から徐々に形成され、基地の拡大と共に発展してきた夜の街であり、裏社会への扉である。高い塀に囲まれた売春宿、ネオン華やかなナイトクラブやマッサージサロン、この地区に似合わず外見はまともな会員制秘密クラブ、店外連れ出し可のディスコ。弱肉強食の無法地帯には、快楽を満たすに有り余る施設が連なる。

 アンドロメダ統括基地の報告によると、ヘレネ街で働く者の内、ほとんどが搾取される立場にあり、その9割以上がスカーレット層である。また8割が女性であり、5割が十五歳未満の児童である。−※1
 アンドロメダ都市政府はエティオピア地区の現状問題を、深刻に受け止めているとは言えない。正確に言えば、他国や他都市からの奴隷制に対する非難を適当にかわすことばかりに専念している。「奴隷制の将来的廃止」等、外的に耳触りの良い口約束で外圧から逃避するばかりである。
 ほんの時たま、衝撃的報道や人権団体の圧力を受けて、奴隷制壊滅のための政府プロジェクトの立ち上げが突然に発表される。そして一時期、警察車が派手なサイレンを鳴らしながら、“真っ昼間のエティオピア地区”を走り回る。世論や圧力が弱まった頃を見計らうように、政府はプロジェクトの成果をすばらしいニュースとして発表する。その際には必ず、救出されたスカーレット層被害者の言葉として、喜びと感謝の声を報道させる。−※2

 そんな政府も政府だが、それで鳴り止む世論も世論である。好きな時だけ非難の声を挙げて、すぐに興味を他に移し、後は振り向きもしない。中途半端な偽善的援助は何の役にも立たない。それどころか、更に彼らを貶める結果にすらなりかねないのである。それは何故か。
 奴隷制の搾取者達は非難を受ければ受けるほど、自らの保身のために実在する奴隷制の隠蔽を図る。それが中途半端に何度も繰り返されたことで、奴隷制は地下に潜り、世間一般の見えない所で奴隷制が形成されていった。
 私達一般市民は、大衆思考の責任性をもっと深く認識しなければならない。そして、それは我々世界人権擁護協会を含めた人権団体においても同様である。

※1 エルフ族の慣習法では、十五歳で成人とされる。エルフ族の身体発達の過程は、一般の人間と比較して著しく異なる。一般の人間が十歳前後から十代後半までを発達のピークとするのに対し、エルフ族は十三歳から十五歳までの2年ほどで、幼児から成人へと一気に成長する。エルフ族が性的奴隷として最も高い価値がつくのは、この2年間ほどの青年期から老衰期までである。

※2 UE1985年には、「私を地獄の底から救って下さった都市政府の方々への、この言い尽くせぬ御恩を生涯忘れることはありません」という文が、元奴隷のリリィという十歳の少女の声として発表された。一般の人間で言えば五歳児程度の知能発達レベルにしか当たらないエルフ族の十歳児が、随分と込み入ったメッセージを述べたものである。


『紳士はお子様がお好き』

 会員制クラブは、他の施設とは二つの点で異なる。
 一つは、客の中に現地人の姿は滅多に見られない点である。エルフ族であるか否かに関わらず、衛星都市アンドロメダの出身者は会員制クラブには寄り付かない。あくまで、外部都市と外国人向けの施設である。
 もう一つは、客層とは逆に、経営陣は必ずこのアンドロメダの出身である点である。これはナイトクラブ等の他の施設の中に外資系商業施設が含まれることとは対照的である。経営陣は階級上位層のアメシスト層とラピスラズリ層がほとんどだが、希にジェダイト層の経営する施設も見られる。

 また、店に来る会員層によって、会員制クラブは次の二つのタイプに分けることができる。
 一つは若者向けのクラブである。会員となる基準は店によって異なるが、ある程度の一定収入と明確な身分証明書があれば、大方の店に出入りできる。
 このタイプのクラブに来るのは、若い軍人が多い。ヘレネ街の隣地に建つアンドロメダ軍事統括基地にやって来る軍人の内、5割が初任地として派遣された士官学校新卒生である。クラブが会員審査の基準とする一定収入最低ラインは、常に新士官の給与最低額となる。客の1割にも満たないが、こちらのクラブには希にエルフ族士官の姿も見られる

 それよりも敷居が高いのが、もう一つのタイプのクラブである。新卒士官の給与では年会費も払えない。客層は連邦軍ならば少佐以上、接待を受けてやって来るのは、惑星群ガイアや惑星群アポロン、コロニー群ゼウスといった連邦中心都市からの重役達である。
 かつてアンドロメダ統括基地に勤めていたヨアキム ショウは、赴任直後の驚きについて、次のように書き残している。−※1

「交渉が終わって間もなく、軍事長官補佐のジョージ ホワイトが私に一枚のカードディスクを渡した。彼はそれを客人の接待に使うように指示した。その名義はアンドロメダ統括基地顧問ビル マロンピッグとなっていたが、私はそんな人物は見たことも聞いたこともなかった。
 私達はトゥリー軍事長官の案内に従って、ヘレネ街へと向かった。その道中、先刻まで眉を1ミリたりとも動かさずに業界用語を並べ立てていた、アポロンの建設業者が、「エルフの女の子は“キレイなんだろうね”?」と私に尋ねて来た。何のことかわからず適当に返答したが、後に性病の有無だと気づいた。その時の下卑た気持ち悪い表情は、一生忘れることができない。
 連れて行かれた高級会員制秘密クラブのオーナーは、統括基地で何度か見かけた顔だった。従業員のエルフ族はどう見ても十代後半以下、五歳程度にしか見えない少年少女もいた。ここに来ている客がどれだけ異質な趣味をお持ちなのか、私はようやく考えに至ったのだった。」−※2

 また、このタイプの会員制秘密クラブは、ガイアで百年ほど前に流行したタイプの人身売買オークション会場を兼ねているものが少なくない。以前から大きな非難の対象であったが、証拠が掴めないケースがほとんどで後手にも回れないのが現状である。−※3
 スカーレット解放組織『PHOINIX』はUE1955年に、ポセイドン中央国家政府の「ポセイドンにおける奴隷制廃止に向けての改革懇談会」の顧問機関Xの要請を受けて、計32回に渡るヘレネ街の会員制クラブの調査を行った。調査対象164店の内、75%にあたる123店が過去3年間において、また23店が現在も人身売買オークションに何らかの形で関わっていることを突き止めた。
 この調査の結果、6人の被害者が調査団のメンバーによって救出された。しかし、この救出成功はメンバーの独断行動が偶然に正しい認められた結果であり、司法力を得ることができなかった『PHOINIX』は、組織としてはデータ収集に励むより他なかった。
 『PHOINIX』に調査を要請した機関Xが、アンドロメダから依頼を受けた傀儡であったことは、隠しようのない真実である。機関Xは『PHOINIX』に何一つ決定権を与えなかった。『PHOINIX』という専門組織の調査報告を聞く機会を自らに設けることで、連邦官僚の政策決定の“アリバイ”を作ったのである。

※1 ヨアキム ショウは筆名。本名等個人情報は、筆者の一存により一切公開されていない。

※2 文章中の名前と役職は全て仮名。

※3 絵画等の視覚的芸術品のオークションを装った人身売買形態。実際に売買されるのは、描かれた画像のモデルであるが、オークション会場にモデルである被害者は来ないため、会場に潜入しても捜査は困難だった。


『新たな妻よりはマシだから』

 デルメル地区に住むタニモト ミワはメイズ層の男性を夫に持つ。しかし、彼女自身はこの都市に珍しくエルフ族ではない。
 エルフ族は重婚を慣習法で許可しており、一夫一妻を明言した連邦法には慣習法に準じて従うべしとされている。そのため、エルフ族ではないミワは一夫一妻制を守らなければならないが、彼女の夫には重婚が許可されていることになる。
 そもそも多夫多妻制は、余剰生活者であるジェダイト層以上の階級でしか流布していなかったが、生活水準が上昇するに連れて、ターコイズ層以下にも広がっている。

 ミワの夫は今まで何度も「他の女性とも結婚したい」とミワに申し出たが、彼女は拒否してきた。しかし、離婚は経済的に考えられず、いつか押し切られるのではないかと怯えている。
 ミワには子供がいない。生物学的に、エルフ族と非エルフ族の間に子供が産まれるのは希である。もし他の妻に子供ができたら、第一婦人であるミワに子供がいないため、その子供は正妻の子として認知される。
 ポセイドンには遺産相続は夫婦間より子供優先で、もし夫が突然死ぬようなことになったら、相続権は正妻のミワではなく、別の妻の子供に行ってしまう。
 農民であるミワと夫の生活は経済的に楽なものではないと言う。
「夫は第二夫人や子供を欲しがりますが、そんな余裕がないことはわかっているはずなんです。エルフの男同士の世間体を気にして、と言うより見栄を張りたいだけなんです」

 夫が新しい妻を迎えることだけは阻止しなければならない。だから、ミワは夫の買春を黙認している。
 スカーレット層である売春婦ならば、メイズ層である夫との結婚はできず、自分の今の地位が脅かされる可能性は少ない。
 ターコイズ層、ピスタシオ層、メイズ層の男性にとって、快楽街通いは社会的行事である。友達の祝い事から仕事の接待まで、付き合いの理由は幅広い。付き合いを拒否すれば、「甲斐性なし」「付き合いの悪い奴」等の社会的レッテルが待っている。
 もちろん、そんな周囲など気にもしないエルフ族男性もいる。しかし、大多数ではない。
「残念ながら、私の夫はそうではありません。ごく一般的なエルフ族の男性です。ヘレネ街の奴隷達に、同じ女性として同情しないわけではありませんが、私にはどうしようもないことです」

 ミワの嘆きは特殊ではない。アンドロメダ在住の妻達の一般的意見である。多夫多妻制とは言え、現状は大方が一夫多妻である。多夫一妻制の場合でも、妻の圧倒的な社会的、経済的優位の下に成される場合が多い。
 連邦政府は現在までのところ、多夫多妻制はエルフ族の文化であり、その価値は低いとは言いがたいという見解を示し、惑星群ポセイドン内に限っての施行を認めている。しかしながら、弊害による人権侵害の明白性を鑑みれば、法的な人道的介入を検討しなければならないだろう。

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