スカーレットメトロポリス

   〜緋色の虚空都市〜

Act.4 記録

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 この音声記録は、私が個人的な目的で録音し、保管したものです。
 この記録を欲しがる人がいれば、決して売買の対象とせずに、コピーして渡して下さい。また、この真実の記録を隠滅するような行為もしないで欲しいのです。
 これは……この記録こそが真実です。

 私の名はワリス アラップ。2004年現在において、惑星群アテナのメディア大学で社会学群の教授を務めています。
 2年前の2002年、私は「アンドロメダの現代奴隷制に関する調査」を惑星群ポセイドン第3惑星の衛星都市アンドロメダで行いました。
 その調査では現地のジェダイト層出身のエルフ族、トゥト ライネン サルト氏が私の案内を務めてくれました。こんなところでではありますが、彼に深く感謝いたします。トゥトの博識とエルフ族社会における認知度、更に彼がエルフ族内の奴隷制に対して強い反感を持っていることに、私はとても心強さを感じていました。

 調査はアンドロメダの快楽街エティオピア地区、通称ヘレネ街に集う人々を観察し、時に取材することで行いました。覚悟はしていましたが、予想をはるかに越えた妨害に遭いました。私やトゥトはもちろんのこと、トゥトの家族に対する攻撃が起こった時期もあり、私達は一時的に取材を止めなければなりませんでした。それも一度ではなく、何度も。
 それでも、私は調査を続けました。トゥトもまた、自らの正義感に従って調査の助力であり続ける道を選んでくれました。

 ですが、その勇気と努力を以ってしても、私がまとめるはずだった報告書は世界人権擁護協会に否定され、発行されることはありませんでした。私としてはかなり譲歩して書いたレポートすら受け入れられることはなく、私は記述を止めざるを得ませんでした。
 せめてもの結果として、この記録を世に残します。

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 ディスク・トラックが2を示す。

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 ヘレネ街は南北を突っ切る3つの大通りに分かれている。
 東から天神(ヘラ)通り、戦神(アテナ)通り、愛美神(アフロディテ)通りとなり、この3つの通りに沿って、街並みはそれぞれの特色を形成している。
 世界的に知られているヘレネ街は、ヘラ・エリアやアテナ・エリアを指す。地元の人間や統括基地の若い軍人達が行くディスコやクラブ、買春喫茶は大方こちらの2つにある。

 3つのエリアの内、最も西に位置するアフロディテ・エリアは真珠色の海に面した、正にヘレネ街の果てだ。この海に入る者はいない。入ったら最後、浮かんで来られないらしい。死に至らしめられた奴隷達の遺体が投げ棄てられ、深い海底に積もっていると聞いた。
 このアフロディテ・エリアについては、地元のスカーレット解放組織であるフォイニクスですら調査を実施していない。それなりの秩序と独自の規則を育んできたヘラ、アテナ両エリアとは異なり、アフロディテ・エリアは混沌とした魑魅魍魎の街だ。
 ここには地元の人間は決して近付かないし、若い士官達も寄り付かない。来るのは一部の上級軍人と彼らに案内された役人や企業のトップ、そして買春ツアーの観客。要するに、まずエルフ族の客はいない。外国人ばかりが来る。

 私はフォイニクスのナルーシャ カイヤ氏に、アフロディテ・エリアのスカーレットに何らかの対策を講じることができないのかと何度も訊いた。
 しかし、カイヤ氏の答えはいつも「今はまだできない」だった。

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 この調子で、淡々とした語りが続いていく。
 トラック1以外は音声記録のためではなく、後で書き起こすための情報を手当たり次第録音している感じだった。

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 私はアフロディテ・エリアの早期調査は必然だと思っている。スカーレットが最も貶められている場所を失くすことは、エルフ族社会の間違った伝統に大きな衝撃を与えられる。
 しかし、一番の無法地帯に上手く乗り込む方法を思いつかない。
 かつてガイアの学生達がアフロディテ・エリアの改善を決意したことがあった。その時は世間の支援も大きく、多額の寄付金が集まったと聞く。そして、彼らの数人が直接アフロディテ・エリアに乗り込んだのだが、ついに全員が帰って来なかった。
 私は彼らを愚かだと思う。だが同時に、誰かが何かをしなければ何も変わらないという焦燥に駆られる。
 どうすればいいのか。答えは誰にもわからない。だけど、何かをしなければ、何一つ改善されることはないのだ。

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 もう何十年も前の話だが、確かにそういうことがあったらしいと、エーリヒも聞きかじっていた。確か、連邦中央大学の法学部の学生もメンバーに加わっていたはずだ。
 彼らは正義に燃えて、自らの力でヘレネ街を変えられると過信したのだろう。そして、結果は……
 今、その学生達のグループの遺志を受け継ぐ者はいない。不気味で残酷な結末に、正義の活動はあっと言う間に収縮してしまったのか。

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 アフロディテ・エリアにも独自の規則がある。地区の平穏を乱す者は消去するのが彼らの掟だ。
 各施設には最新の「死のリスト」が出回り、専門の暗殺者達がアンドロメダ中を駆けずって標的を抹殺する。時には、国外の活動家をガイアなどまで追いかけて、任務を果たした例もある。
 惑星群デルメルのバクツ大学で、人権擁護の立場から奴隷制を批判していた思想哲学群の教授が、握手を求めてきたエルフ族の自爆によって殺害されたのは、わずか6年前のことだ。
 カイヤ氏の口から聞かなかったが、トゥトによると、フォイニクスのメンバーにも殺人予告が出され、何人もの犠牲者が出ている。

 この程度の脅しで改革者の足を退かせることは出来ないし、私達は歩みを止めてはならない。カイヤ氏達もまた、果ての見えない戦いに身を投じる覚悟を胸に抱いて、日々努力と忍耐を重ねている。

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 弾圧に負けてならない。常套文句だ。
 エーリヒは苦笑するしかなかった。アラップ自身、自分の言葉に大きな皮肉を込めているようだった。
 『PHOINIX』等の当事者の活動なしにアンドロメダの、いやポセイドン全体や世界を抱き込んだこの奴隷制が消滅することはないだろう。しかし、その重荷を背負うには、『PHOINIX』はあまりに脆弱だ。

 世界人権擁護協会にしても、この組織を含めた現存団体の力で連邦内全ての奴隷問題を解決することなど不可能だ。
 彼らは専門家として、あるいは一部がボランティアとして、日夜一般市民に協力を求めているが、その求める先は無関心の塊。奴隷制など、この時代に存在するはずがないと思っている。
 現代奴隷制の存続を擁護するのは、善良な市民自身。皮肉な話だ。
 まだまだこの調子で続きそうなので、先を進める。
 やがて、耳慣れない言葉が耳についた。更にアラップと誰かの声が加わった。何者かに現地の言葉でインタビューをしている様子だった。
 少し巻き戻し、いくつか前のトラックの最後から聴き直す。

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 ――ていたが、私の予想は外れた。ヘラ・エリアやアテナ・エリアの施設経営者が9割以上が商人層ターコイズであるのに対し、アフロディテ・エリアでは貴族層ラピスラズリが大方の経営権を握っているらしい。
 私はラピスラズリ層のある経営者にインタビューを申し込んだ。予想したとおりに断られたが、彼のこの豪奢な家を垣間見ることができた。ここに住む者達が店での収益をどれだけ酷く搾り取っているのか、目に見えるようだった。

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 トラック・ナンバーが663を示す。

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 調査の協力を依頼していた衛星都市ペガススのNSAセンターから、臨月のスカーレット層の少女を保護したとの連絡を受けた。
 調査日程が残りわずかになった今になって、ようやく突破口を得ることができた。

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 NSAは奴隷廃止協会(Negative Slave Association)のことだろう。ペガススはアンドロメダとは違い、いち早く奴隷解放が進んだ都市だと聞いている。
 トラック664。アラップは、保護された少女を遠目に見ながら、描写しているらしかった。

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 少女の名はスカーレット。本名ではなく、自分でつけた源氏名らしい。逃げられない自らの身の上を皮肉るようだ。
 年は十一、二歳だろうか。後数日で出産するとは思えない、痩せた身体をしている。無力感の漂った無表情でキョロキョロと周囲を見回し、まるで逃げる機会を窺っているように見える。

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 665。

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 看護士の話では、スカーレットは十日前にペガススの宇宙港で、アンドロメダ行きの便に密航しようとしていたところを捕えられた。
 身分証明書を持たず、網膜や指紋も照合になかったことなどから、アンドロメダの奴隷と考えられ、NSAに送られてきた。

 本人の談によると、十三日前にスペースコロニー群ゼウスからの観光旅行者の同行者としてペガススに入った。その際、秘密クラブから第3惑星間の通行許可書を渡されており、それを現在も携帯している。

 NSAの通報を受けて、ペガススの警察当局が補助捜査を開始した。スカーレットを連れ歩いていたと思われる男性客は関連を否定した。連れて来たの奴隷ではなく、荷物持ちのために雇った成人男性であると主張している。また、アンドロメダのクラブ経営者は「発行した憶えなし」と回答している。

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 666。さっき少しだけ聞こえたインタビューだった。

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「あなたは何処から来たのですか?」
「――――――?」
「――――」
「アンドロメダのヘレネ街アフロディテ・エリアから来たそうです」

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 アラップの質問を男性の落ち着いた声が通訳し、スカーレットが答え、それを男性がアラップに通訳する、という形でいくつもの応答が続く。
 何となく聞いていると、突然スカーレットのぼそぼそとした声が金切り声に変わった。
 巻き戻す。

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「客はエルフ族と非エルフ族が半分くらい。前の店で顔が売れ過ぎて、新顔ではなくなったので追い出され、今の店に移されたそうです」
「では、ヘラ・エリアやアテナ・エリアにいたのは、あなたが何歳くらいの時ですか?」
「――――――?」
「――――」
「ヘラ・エリアは最初から七歳ぐらいまで、アテナ・エリアはその後十歳くらいまでです」
「あなたはさっき今の仕事の方が嫌だと言いましたが、それはどうしてですか?」
「――――?」
「――――――――――――!」
「……エルフ族ではない客は嫌いだから、だそうです」
「嫌い、ですか。それは、扱いが酷いと言うことですか?」
「ワリス、そうではありません。私達エルフ族にとって、エルフ族でない者が私達を蔑み、貶めている事実そのものが、途方もない屈辱なのです」

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 この男性がサルトなのだろう。
 その後、インタビューが続いて、666の最後は少女の言葉の通訳で終わっていた。

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「トゥト、私に気を使わないで下さい。彼女が私に言った通りに訳して下さい」
「妊娠していることは、ここで言われるまで知らなかった。
 エルフ族ではない者の子を産むことは屈辱。死にたい。アフロディテ・エリアに行く羽目にさえならなければ、こんな汚い子はできなかったのに。私はもう何処にも行く場所がない」
「――――――――――――, ――――――――――――.
――――――――――――!」
「あなた達のような人間がヘラ・エリアやアテナ・エリアの奴隷達を助けたりしたから、私はもっと酷い所へ行かなければならなかった。
 もう何もしないで欲しい。迷惑だ」
「――――――――――――.――――――――――――」
「二度と来ないで欲しい。絶対に、あなた達は私を助けられない」

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