スカーレットメトロポリス

   〜緋色の虚空都市〜

Act.5 ある学生達が受け取りし物


 まだディスクは回っていたが、エーリヒはヘッドフォンを無意識に外していた。
「終わったか?」
 しばらくの間、茫然と固まっていたらしく、いつの間にかラルフが背後に立っていた。
「何だ、随分ショックを受けているようだが」
「いや、ショックと言うか。アラップが書く気をなくしたのが、こういう理由なのかと思うと」
 再生を止めて、飲み忘れていたコーヒーを口につける。とんでもなく苦い。
 エーリヒの感想に、ラルフは肩をすくめて見せた。
「提出はしたらしいぞ、報告書として」
「何だって?」
 驚きのあまり、エーリヒは一気にコーヒーを飲んでしまって、派手にむせた。
「それは話に合わなくないか? だって、結局は自分で別の報告書を書き直して提出したんだろう?」
「書き直したわけじゃない。最初から二つ提出する予定で、まずは論文の下準備レポートを提出し、結果、世界人権擁護団体が受理したのは一方だけだった。アンドロメダの奴隷制とはまったく関わりのない方だけをな」
「そんな馬鹿な……こんな酷い事実を公表させようとしなかったなんて、僕には理解できない」
「私もだ。おそらく、世界人権擁護団体に対して何らかの圧力がかかったと考えるべきだろう。金か政治的取引か、それても脅迫か。所詮、世界人権擁護団体なんていう大層な名前は持っていても、アンドロメダのフォイニクスと大した変わりはない。両方とも赤子のように脆弱で、役立たずだ」
 一度言葉を切ると、ラルフは優美な眉を少ししかめて、わずかに首を振った。
「いや、違うな。脅しに屈せず信念を曲げないフォイニクスの方が、まだましと言えるか。最早、世界人権擁護団体は腐りきっているからな」
「……それ、本当なのか?」
「そんなところだろう」
 そこまで世界人権擁護協会がめちゃくちゃなわけがない。多少は関連しているかもしれないが。
 エーリヒの内心の苦笑を読んだのか、ラルフは思いっきり睨んできた。
「お前は人が良いから信じたくないかもしれないが、そんなものだ。都合の悪い情報は聞きたくないから、封印しておく。事実、これの提出の後すぐに、アラップはメディア大学から南大学へ移動させられている」
 連邦南大学は惑星群ガイアにある。この連邦中央大学と並び、最高レベルの六大学の一つである。同時に、非常に保守的な雰囲気が強い場所でもあった。
 アラップが自分の研究を続けられなくなったことは、想像に難くない。
「そうか、アラップの仕入れた情報はそこまで恐れられるものだったなんて、全然気がつかなかったな」
「人によっては、だな。アンドロメダの奴隷達を買っていたのが誰なのかを考えれば、想像は難くないだろう」
 ラルフの言い方には、珍しく暗い影が落ちていた。
 エーリヒはレコーダーを見つめた。
 この報告書を作るために、アラップがどれだけの苦労をしたことか。少しでも深く真実を探り、何とか問題解決へ導こうと重ねていった努力が、あっさりと踏みにじられた。
 アラップを責めることはできない。一介の教授で学者でしかない彼女には、どうしようもなかったのかもしれない。
 しかしディスクからはアラップの、サルトの、カイヤの、そしてスカーレットの苦悩が滲み出してくる気がした。無言の悲鳴が聞こえてくる気がした。
 と、レコーダーからディスクが取り出される。
「もういいだろう。元の場所に戻す」
 やっと帰れるとばかりに、テキパキと動く背に向かって、エーリヒは呟いた。
「なぜエルフ族は、非エルフ族人との混血を嫌がるんだろう……」
 異国の言葉で叫ぶスカーレットの声が、まだ耳の中で響いている。
 嫌いだと言った。自分が孕んでいる子供を汚い子だと罵った。その悲痛な叫びが頭から離れない。
 絶対聞こえていないと思ったが、ラルフはあっさりと返してきた。
「当たり前だ。彼らにとって我々常人は搾取者だからな」
 搾取者、という聞き慣れない言葉を理解するのに、エーリヒは数秒を要した。
「搾取って、それはどうかな。一部のエルフ族にとっては、非エルフ族が搾取する側にあるのかもしれないけれど、全員と言う訳ではないだろう」
「冗談だ。むきになるな」
「……」
 今日の精神的な疲労困憊は、いつもに増して濃かった。いつものように、ラルフに遊ばれているせいばかりではないけれど。
 ため息をついたエーリヒに背を向けて、ラルフは外套を羽織った。
「彼らの問題というよりは、我々常人の方の問題だ。我々の中に彼らに対する差別感がある。敏感な彼らはそれを察知して、我々と距離を置こうとする。だから、まず変わらなければならないのは、我々の方だ」
 エーリヒは思わず拍手をしたくなった。だって、今になって初めて、ラルフが法学部に相応しい学生に見えてきたのだから。
「さて、帰るぞ」
「ああ。今日は付き合ってくれてありがとう」
「今日の夕食当番はお前な」
「はいはい」
 もうすぐガイアの人工太陽が光を消す。


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