いにしへの奈良の都の八重桜

   今宵ばかりは 墨染めに咲け

Act.0


 誰かに呼びかけられた気がして、アウリヤは足を止めた。
 彼女が振り向くより先に、再び呼ぶ声がする。
「アウリヤ、待ってくれ」
 聞き覚えのある声、いや、アウリヤはこの人物をよく知っていた。
 声の主を確信して振り返る。
「カシム! 久し振りだな」
 思った通り、浅黒い肌の中年男性が早足で近付いて来るところだった。
「本当だ。何せ前任務の終了以来だからね」
「ざっと三十年ぶりというところか。正直、また共に職に就くとは思っていなかった」
 カシムの太い眉がピクッと上がった。
「と言うと、もしかして君も今回サラーフの乗組員に?」
「ああ、また同僚になるな。よろしく頼む」
「こちらこそ、アウリヤダルク少佐。いや、艦長とお呼びした方がいいかな」
 おどけて見せるカシムに、アウリヤは硬かった表情を緩ませ、手を差し出した。カシムが強く握りこみ、固く握手を交わす。
 アウリヤとカシム。二人は二十八年前の任務において、連邦巡洋船WINDシリーズ第一船『TOKUKO』に搭乗した元同僚である。前回任務の直後に二人とも冷凍睡眠に就いたため、互いの行方は知らずじまいだった。
 今回、WINDシリーズ第二船『SALAH』に同乗することになったということは、それぞれの優秀さだけでなく、互いのパートナーシップの良さが、WINDプロジェクト本部に認められたらしい。
「こんな所で立ち話することもないだろう。私のオフィスへ来ないか?」
「――そうだな、お言葉に甘えようか」
 WINDプロジェクトの総本部は航宙産業局の一角に設けられている。アウリヤやカシムのように冷凍睡眠に就いた者には、他者と兼用ではあるが、公私共に使える部屋が総本部と同じ建物内に与えられている。兼用と言っても、他の使用者は今の時間は眠っているのだから、実質的には個室に等しい。
 単に話すだけなら、周辺の喫茶室にでも入ればいい。敢えて個室に誘った意味に、カシムは気づいていた。
 聞かれてはまずい話題。だからこそ、公共の場を避けた。
 個人のオフィスであっても盗聴の可能性は否定できない。しかし、WINDプロジェクト関係者以外に会話が漏れることはない。
 アウリヤに与えられた部屋は、長く住んでいる場所ではないせいか、生活色に乏しかった。必要最低限の物しか備えていない室内にカシムを招き入れると、アウリヤは扉の鍵をかけただけでなく、窓にもシャッターを下ろし、電磁波を完全にカットする。
 ただでさえ無機質な空間が鉛色を帯びた。
「随分と警戒しているようだな」
 カシムのシナモン色の瞳にも緊張が走る。
 肯定の印に頷いて、アウリヤが手にしたのは棒状のディスク。そこからスクリーン代わりの壁に投影したのは、彼女らの任務内容だった。
「いいのか? 艦長の君以外には、まだ極秘なのに」
「構わない。ここを見て欲しい」
 アウリヤが示したのは特殊任務の欄。ある国、正確に言えば、かつて一国であった場所の旧国名と現在名とが記されていた。
「ほう、驚いたな、サクヤ皇国へ行くのか。あの国は隣国のヴィルゴと合併したのでは?」
「ああ。だが実際は吸収されたに等しいし、連邦も併合を承認していない」
 サクヤ皇国。
 大した産業も資源もないが、千年の歴史を誇る古い国だった。地球時代から受け継がれる八重桜を象徴とし、伝統があり、そして閉鎖的な国。軍事革命で時の女皇が暗殺された後、革命勢力を陰で操っていた隣国が、乗っ取るように併合した。四十年近く前の話だ。
「五年前から旧サクヤの市民を中心に独立運動が起き、連邦はそれを支持している」
「それならば尚のこと、僕達ウインドの出る幕はないのでは?」
 カシムの言い方は少し皮肉げだった。
 最高レベルの船による最高レベルの任務の遂行を前提に計画されたWINDプロジェクトは、四百年経った今、当初の目的に添うものとは言えなくなっていた。特にこの百年ほどは連邦に対する大きな紛争はなく、また難しい外交を請け負う任務は他の巡洋船に任されるようになった。
 今のWINDシリーズには、こんな俗名が付けられている。曰く、「養成船」と。酷い時には艦長を除いて全員が研修生であったり、軍事官や医務官がいなかったり。安全管理を怠ったクルー配置が承認されている。
 この状況下のWINDプロジェクトに旧サクヤ皇国での出番があるなどとは、普通は考えられない。
 しかし、今回はちゃんと理由があった。
「どうやら我々はサクヤに届け物をしなければならないらしい」
 アウリヤが指したのは積荷のリスト。
「これはコールド・スリープ・カプセル?」
「ああ。おそらく、サクヤの皇族だろう」
 冷凍睡眠カプセルコールド・スリープ・カプセル。人類がかつての太陽系から離れる過程で欠かせなくなった代物だ。何ヶ月、何十年、人によっては何百年もの間、冷たいカプセルの中で生命活動を縮小し、後の世を生きることができるようになった。
 かつては遠距離移動のために開発されたものであったが、今は大きく事情が異なっている。
 現在では、冷凍睡眠システムは社会システムの維持を目的に多用されている。優秀な人材を世代を超えて残すことで、現行のシステムに沿う人材が後の世に生きる。その社会システム内で有能とされた人々は過去の歴史を否定しない。完成した社会を継続し、世代を超えて生きる者達が後世の教育にあたることで、変革のリスクとそれに伴う争い事をできるだけ減らそうという魂胆である。
 アウリヤとカシムも、社会の安定的継続のために有益な人材と認められたからこそ、二十数年の眠りに就き、そして呼び起こされた。
 しかし、今回『SALAH』に積荷として乗せられるカプセルの場合は、別の意味で有益な眠りに就いていると考えられる。
 カプセルに入っているのが旧サクヤ皇朝の関係者であるならば、単に亡き女皇の血筋と言うだけではない。旧皇国の後継者を名乗れる者、すなわち皇太子クラスの者と考えるのが適当だ。乗っ取られた政権を取り戻せる時期が来るまで、その時に生きていられるように眠らされている。
「なるほどな。形ばかりの巡洋船は極秘の運び屋にお誂え向き、と言うことか。僕達もなめられたものだ」
「私も同意見だ。だが、お座成りには済ませられない」
 画面を切り替える。
「連邦政府は本気でサクヤを援護する気だ。助けたところで一銭の価値もないが、一度表明した手前、退けなくなっているのだろう」
 連邦から旧皇国への経済的、軍事的支援はデータ値として明確だった。
「我々の船にも軍事施設が強化されている。それに、クルーもこれだ」
 搭乗員のリストによれば、艦長であるアウリヤ自身が軍少佐で、他に中尉がいて、更に研修生も軍人志望者。今は医務官も数年前まで軍医であり、外務官であるカシムですら軍所属の経験がある。
「やれやれ。未来の統治者を死ぬ気で守れ、と言うことか」
 苦笑するカシムに、アウリヤは首をすくめた。
「ああ。厄介だよ、まったく。まあ、こういうわけだ。改めて、よろしく頼む」
「お互い全力を尽くそう」
 交わされた握手に重なる、強い決意と信頼。
 どんな任務であっても、この相手が同僚ならば大丈夫だという自信が、そして自負が産まれていた。

 UE1412年、WINDシリーズ第二船『SALAH』出港。
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