いにしへの奈良の都の八重桜

   今宵ばかりは 墨染めに咲け

Act.1


 旧皇国への道。どんなに険しいであろうかと警戒が濃かった者ほど、実際の任務の楽さに拍子抜けするはめになった。それが旧サクヤ皇国に行くまでしか続かないとしても、あまりに単純で退屈な日々だった。
 それが今のWINDプロジェクトの実態。かつて最高峰と謳われた船で行われる任務。
 しかし、アウリヤは暇だとは言っていられなかった。艦長並びに軍事司令官の肩書きがある以上、軍事官研修生の動向には目を光らせる必要がある。
 むしろ、その軍事官研修生であるシュリの方が退屈な日々に音を上げていた。さすがはティーンエイジャー、体力が有り余っている。
「暇です」
 これが彼女の口癖になっていた。
 アウリヤは苦笑しながらも、訓練課程に対応する課題を淡々と与えていく。
 要領は悪くない。経歴からもシュリが優等生であることは認められた。
 しかし、それはあくまで学内でのことだ。机上での優秀さは現場では役に立たない。身体が動かなければ戦場では無意味。
 そう思いながらも、それを本人に指摘するのは憚られた。
 UE1390年代以降、表立って連邦軍が活躍する舞台は存在していない。連邦の外交政策の賜物だと評価できないこともないが、連邦側も敵対勢力もかつての大戦の後遺症を引きずっているためだとも言える。
 その結果、連邦による騙し騙しの平和外交は成功している。疲弊した諸国に今は受け入れられている。
 いつ崩れるかわからない、束の間の平和。
 そんな中、連邦軍の質は確実に落ちていた。
 平和外交の切っ先は、まず若い世代の思想教育から始まった。
――――戦争はいけない事です。
――――人類皆兄弟。
――――古き悪き時代を踏襲するな。
――――過去の歴史を否定せよ。
 一辺倒なスローガンが学校に、街に蔓延している。
 今の若い世代はその造られた世界しか知らない。そんな世界で育ってきたであろうシュリに実戦力を求めるのは、酷と言うものだった。
「いいんですかね、あんなんで」
 課題通りに武器庫のチェックを行うシュリをブリッジのモニターで眺めながら、もう一人の軍事官ロスが尋ねる。と言うより、半分面白がっているように言ってくる。
「私に言われても困る。今のカリキュラムに沿っているだけだ」
 そう言っているアウリヤ自身が一番納得していないのだから、皮肉なこと限りなかった。
 万が一実戦になった時、シュリは役に立たないかもしれない。足手纏いかもしれない。そして、見捨てることになるかもしれない。
 憂鬱を振り払うように大きく息を吐いて、アウリヤは無理に微笑んで見せた。
「ロスの感覚は私と似ているな。いつ生まれだ?」
「少佐と似てる? そうですかね。俺は生まれたのは戦後。でも国が連邦の果てだったんで、一昔前の世代と変わんないシステムで育ちました」
 上官の言わんとするところを察して、彼は自分が旧体制の遺児であることを認めた。
「少佐は連邦本国の生まれですか?」
「ああ、生まれも育ちもガイアだ。父親はどこかの小国出身らしいが」
「小国というと、辺境地帯ですか?」
「さあ、詳しいことは知らない。施設の養母から聞きかじった話だし、私の母も幼い頃に死んでいるから」
 宇宙での出産は母体にかかる負担が大きすぎる。だから有志が提供した卵子・精子を元に、人工子宮によって産まれた子供の方が大半を占める。遺伝病などの特例を除けば、生物学上の親の情報を子供達が知ることは基本的に許されていない。片親だけでもはっきりしているアウリヤの方が珍しいくらいである。
 と、アラームが小さく鳴り響く。
「アウリヤ、もうすぐゾディアック連盟の領域に入るよ」
 カシムは警告音を打ち消し、緊張感を帯びた顔で告げた。
 赤い点滅信号、それは連邦の巡洋船にとって危険領域であるゾディアック連盟に近付いていることを示していた。
 ここから先は危険だ。何が起こるかわからない。
 ゾディアック連盟。黄道星座の名を持つ十二の国からなる同盟で、連邦の宿敵である。先の大戦で最も酷く争った相手であり、互いに相当なダメージを負って尚、倒すことのできない国々。
 わざわざ敵陣の中を突っ込んでいくなんて、本当はしたくない。迂回したいところだが、そうも言っていられなかった。
 なぜなら、旧サクヤ皇国を併合したのはゾディアック連盟が一国、乙女座の名を国に冠したヴィルゴだからである。
 WINDプロジェクトの極秘レベルの高さを疑ってはいないが、所詮は人を基に管理するデータ、どこでヴィルゴ側に漏れているかはわからないし、、かなり詳しいことまで知られているとも考えられる。
 連邦はサクヤ皇朝の後継者を皇国の復活を求める者達に渡そうとしている。連邦の運び屋としてWINDプロジェクトが選ばれた。旧皇国側はもちろんのこと、反対する派閥やそれを裏でも操るヴィルゴも情報を得て、それぞれ動こうとしているだろう。
 ロスが珍しく眉をひそめた。
「少佐、本当に後継者をわざわざ届けに行くんですか?」
「ああ。主だった独立派は現政権の監視下らしい。下手に下っ端に動き回られると、渡せるものも渡せないから、じっと待っていてもらった方が楽だ」
 面倒くさいと言わんばかりにため息をつくと、背後から軽やかな笑い声がした。
「言うわね。下っ端もそれなりに頑張ってるんだから、その努力ぐらいは評価してあげたら?」
 医務官のヨーコの言葉に、アウリヤは肩をすくめる。
「心外だな、私は正しい評価を下したつもりだ。素人は引っ込んでおけばいい」
 それは嘲りと言うより、合理性を優先するアウリヤらしい思考だった。
「そう?」
 特に気にした風でもなく、ヨーコは個人用ディスクの画面に視線を戻す。少し下向き加減になったことで、艶やかな黒髪が囁くように揺れた。
 船は亜高速で旧サクヤ皇国へと近付く。何もない虚空を映していた画面のあちらこちらに小さな金属片が現れ始めた。
 シールドのレベルを上げながら、ロスがあきれたように声を上げた。
「壊れた船のカスだ。あーあ、派手に落としてくれちゃって」
 金属の破片と言っても、一般の船に使われるような種類ではなく、まして日常生活とは無縁の類のものばかり。破壊された戦闘機のなれの果てだった。
 表示される成分をにらみ、アウリヤは肩を竦めるしかなかった。
「この辺は先の大戦の処理ができていないからな。その残骸だろう。仕方がない」
「ちょっとばかり厄介ですね。いくら本船のレーダーがハイレベルだからって、こうも邪魔な物がうじゃうじゃしてるようじゃ、誰が近付いて来るかわかったもんじゃない」
「ああ。そろそろ万が一の事態に備えておくべきか」
 大して危機感はないが、用心に越したことはない。
 アウリヤはシュリを呼び戻すための放送を入れ、メイン・スクリーンの表示を一転させた。
 瞬時に、和やかな談笑の雰囲気は消える。呼び出されたシュリが敬礼と共に入室した時には、ブリッジは完璧な軍事司令室と化していた。各人の表情もまた軍人の面持ちに変わる。
「本船は連邦標準時刻十八時より旧サクヤ皇国、現ゾディアック連盟所属国家ヴィルゴ北東部自治区コマ・ベレニケスの領域に入る」
 連邦と相反する組織であるゾディアック連盟の領域を、連邦の巡洋船であるWINDシリーズが通るだけでも危険は十分。加えて、積み荷を狙う者から何らかの接触が考えられる。
「コマ・ベレニケスの上位政府であるヴィルゴから、領域への通行許可が下りているのは本船のみである。我々の護衛艦は次の寄港地にて待機する」
 かなり危険な行動であった。確かに『SALAH』の軍事力は増強されたが、所詮は一隻の力。攻撃されるようなことがあれば丸腰に等しい。
「少佐、一つよろしいですか」
 シュリが挙手する。
「このままコマ・ベレニケスへ向かえば、わざわざ敵陣に頭から突っ込むようなものです。陽動作戦の予定はないのですか?」
 優等生的な問いに、カシム、ヨーコ、ロスのそれぞれの顔に、他者には気づかない程度にまとめられた苦笑が浮かぶ。
 あきれと諦めを表情に出さないよう気をつけながら、アウリヤは疑問に答えた。
「陽動作戦は相手の出方がある程度把握できなければ意味がない。まして敵が多方面に渡る今の状況下では、反って自らに混乱を招く」
 敵味方がきれいに分かれて動きがパターン化されているのは、ゲームか教科書の中だけ。実際の戦場、そして人間社会はそんなに簡潔にはできていない。
「旧サクヤの現在については、連邦には的確な情報がほとんどない。積荷の届け先も不明だ」
「でも街だけはわかってるんですよね。旧都で、確か……」
 名称が思い出せなかったロスはキーを叩いて、ヴィルゴの全図を呼び出した。スクリーンの端に現れたそれの端に、小さく【Coma Berenices】の名を見つけて、拡大していく。
「我々はかつての首都であったアスカへ行く。入り込む我々にとっては幸いと言うべきか、今は廃棄されたも同然の街らしい」
 ヴィルゴの政策の一環として、旧都を荒れるがままにしてしまっているのだろう。
 それまで黙っていたカシムが、静かに息を吐いた。
「サクラという花が美しい、色彩文化に優れた都だと聞いたことがある。自然的な香りを大切にする文化も持っていたらしい。地球時代からの伝統が荒廃してしまうのは、残念なことだ」
「あら、それも歴史よ。仕方ないわ」
 さも無念そうなカシムのため息を、ヨーコが一蹴する。
「それで、このままアスカに入るの? シュリの意見じゃないけど、バカ正直過ぎるわよ。いくら本船が連邦の巡洋船だからって、命の保障があるわけじゃないもの。報復を省みずに手を出すバカはどこにでもいるわ」
「わかっている」
 アウリヤ自身、先の任務で関わった際にゾディアック連盟と直接対立する厳しさは身に染みていた。
 二十八年前の任務は先の大戦が始まる直前だった。アウリヤとカシムが搭乗したWINDシリーズ『TOKUKO』にはエリート外務官も同乗していたためか、戦闘の前線を避けて、搭乗員全員が無事帰還した。
 しかし、アウリヤの同期や先輩に当たる若い軍人達には、多く死者が出たと聞いている。
 数の上では圧倒的に連邦が勝っていた。それでも拮抗したほど、ゾディアック連盟の軍事力は強い。策力、個々の軍人の能力、市民の心構え、数以外の面では連邦側の分が悪い。ゾディアック連盟が何をしてくるか、まったく読めないのである。
「何か仕掛けてくるかもしれない。しかし、アスカまでは下手に動きたくはない。散開して行動すれば、敵の頭数が多い分、奴らの思う壺だ」
「その先はどうする? 形ばかりの視察が予定に組まれているが、期待はできない」
 楽観視はできない。カシムの声色はそう忠告していた。
 現政権がヴィルゴの下にあることを考えれば、旧皇国側との接触は望めない。
 だが、アウリヤには別の思惑があった。
「向こうからのアプローチを我々が逃さなければ、機会はある」
 言い切ったアウリヤに、カシムは首を振る。
「どうかな。支援者である連邦とすら、まともに連絡も取れないような状態だ。サクヤ側が現政権の目を盗んで、こちらと接触できるかどうかは疑わしい」
「いや、必ずしてくる。旧サクヤ側には皇朝復活のための軍事的なり経済的なりの準備ができていて、だからこそ蜂起扇動の象徴が必要となった。それが我々の積み荷だからな」
「では、既に独立の雰囲気はあると?」
「そうでなければ、積み荷が召還されることはない」
 積荷である皇族を理由にして、皇朝復活を掲げれば、武力行使はその動機となることができる。本音と建前が逆であっても、誰も責めることはできない。
「旧サクヤ側は、意地が何でも我々から積み荷を受け取ろうとする。その動きを読めば、我々は任務を果たせる」
「なるほど。それなら異論はない。彼らからのメッセージを待とう」
 カシム同様、ヨーコ、ロス、シュリも賛同する。
 積み荷を渡した時点で、サクヤに関する任務は終わりだ。そして、速やかに次の任務に移行しなればならない。皇朝がどうなるのかは、彼らが首を突っ込むべき問題ではなかった。
 全員の了承の上、話はそれで終わった。
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