いにしへの奈良の都の八重桜

   今宵ばかりは 墨染めに咲け

Act.2


 この船の名の由来であるサラーフ・アッディーンは勤勉な研究者だったと言う。情報収集を怠らなかった彼の性質を受け継いだのか、『SALAH』のライブラリーは知識の宝庫とも言える。
 そのライブラリーの検索用コンピューターの前で、カシムは目を閉じていた。検索範囲限定可のアラームが小さく鳴る度に、また新たなキーワードを打ち込んで、情報を絞っていく。
 と、背後に人気を感じた。
「どうだ、見つかりそうか?」
 気配を消して忍び込むように入室したのは、アウリヤだった。
「ここの情報量は大したものだよ。常に更新が繰り返されていて、過去から最新までデータが満載だ。おかげで何とかなりそうだよ」
「そうか。すまないな、手間をかけさせて」
「構わないさ。君はデータ処理だけは苦手だから」
「――感謝する」
 旧友の容赦ない指摘に苦笑し、アウリヤは手近な席に座った。
 ほどなく、検索終了の合図がなされる。
「見つかったようだな」
 ファイルを開いたカシムの表情を見て、アウリヤは手応えを感じた。
 彼に続いて画面を覗き込むと、目当てのデータが表示されている。
 それは旧サクヤ皇朝の家系図だった。中心には、暗殺された女皇と思われる【春待常盤宮】の名が示されている。
「これがサクヤの為政者一族か」
「ああ。前皇に四人の子がいたようだが、いずれも亡命先で客死している。孫は三人いて、その内の二人は両親と共に客死。一人は革命前に病死している。他の皇族もほとんど生きていないな」
 それらの死もまた、女皇と同様に暗殺によるものであったことは否めない。
「そうか。では、我々が運んでいる者の候補は?」
「確定はできないが」
 カシムが一つの名を指す。
「死亡確認がとれていないのは、1365年生まれのこの人だけだ。女皇の甥か姪の子供だな」
 そこには【逢里宿楽宮】と記されていた。それは旧サクヤ皇朝の資料をそのまま引用しているようで、連邦表記での読み方が記されていない。
「僕には読めないな。アウリヤは?」
「カシムにわからないなら、私に判読できるはずがないだろう。第一、これは言語なのか?」
 正直なところ、アウリヤには絵文字にしか見えていない。
 彼女の心中を察して、カシムは苦笑した。
「漢字を使っているから、旧東アジア系の民族だろうけど」
「そうなのか?」
「多分。1365年生まれだと、普通に生きていてもまだ四十七歳か」
「コールド・スリープを使えば若いままだ」
 軍事革命勃発はUE1373年。その時に逃げて冷凍睡眠をずっと使っているとすれば、まだ十歳にもなっていない。積み荷である可能性は十分にある。
「――カシム、唐突ですまないが、一つ訊きたいことがある。正直に答えて欲しい」
 突然姿勢を改めたアウリヤに、自然とカシムの背筋は伸びた。
「もちろん。君の質問になら、何でも答えよう」
 少しおどけて、しかし本心でもあった。
「ありがとう。では、訊く。カシムはサクヤの皇族か?」
「……何だって?」
「違うのか?」
 確認する緋色の瞳は真剣そのもの。
 たっぷりの間をおいて、カシムはようやく応えることができた。
「違うのかと言われれば、違うと言うしかないな。僕が皇族だなんていう話は聞いたことがない」
「そうか。すまない、唐突に」
「はは、新手の冗談かと思った。何故そんなことを?」
 アウリヤの考え方は軍人らしく、非常に明快で率直。それはカシムが彼女を好ましく思う理由の一つでもある。今の質問の意図は、彼にはまったく読めなかった。
「確信はまったくないが、私には積み荷が皇太子ではないと思えてきた」
 曖昧な言い方なのは想像に過ぎないからなのか、いつもの自信に満ちた声ではなかった。
「確かにカプセルは多少の狙撃には耐えられる。しかし、所詮は物扱いだ。万が一の時に我々が見捨てて逃げることを、連邦の上層部は想定しているはずだ」
 冷凍睡眠カプセルはかなり重い代物。何かあれば、任務を負っているとは言え、搭乗員が身一つで逃げざるを得ない場合も有り得る。
 第一、あれほど重い物を旧都アスカの視察の間中、持ち回れるはずがない。
「私がカプセルが空だと思う根拠はもう一つある。視察地に旧皇国の宮殿が入っていることだ」
「――そうか、確かにおかしい。文化交流が目的でもないのに」
 不自然な視察地設定。それが意味あるものとなるためには、裏の意図がある。
 武力蜂起を待わ侘びる者達にとって、旧宮は心のより所のはずだ。あるいは、反旗を翻すための根城となっているかもしれない。
「もし我々クルーの中に皇太子がいれば、その者は現政権の目を欺いて、まんまと帰還することができる」
「なるほど。それでさっきの質問に繋がるわけだ」
「ああ。本当にすまないな、驚かせて」
「まったくだ。寿命が十年ぐらい縮まったかもしれない」
 二人は一しきり笑って、次に同時にため息をついた。
「君の推測が正しいとすれば、今のクルーの中にいるわけだ。本当の積み荷が」
「あくまで一つの可能性に過ぎないが。正確には我々を除く三人だが……わからないな」
 二人はここにはいない残りの三人の搭乗員を思い浮かべた。
 ヨーコは二十七歳、ロスは二十二歳、シュリは十五歳で、年齢的には全員合致してしまう。
「カシム、サクヤの皇族は旧東アジア系だと言ったな」
「ああ、名前を見る限りは」
「東アジア系民族の身体的特徴は?」
 人類が地球を完全に離れてから早くも千四百年。地球時代には個々人の特性とされた民族的特徴は、現在ではただの固定観念やファッションと見なされていることが多い。
 それでも自らに固有のアイデンティティとして、民族的特徴を誇示する者は決して少なくない。アウリヤ自身は自分の民族系統など考えたこともないが、自分の血筋や民族を誇らしげに語る人に会わないわけではなかった。
「詳しく知りたければ調べるが、多分ヨーコがそうだ」
「ヨーコは東アジア系なのか?」
 アウリヤの質問を聞いていなかったのか、カシムは謳うように続けた。
「烏羽玉の豊かな黒髪と艶やかな瞳。肌は白く透き通るようで、頬の紅が映えるそうだ。細身で小柄、肩幅が狭くて体毛が薄いのも特徴かな。性質はたおやかで、清潔を重視する」
「清潔と言うか、ヨーコが掃除魔なのは確かだが……随分と特徴に詳しいな。知り合いでもいるのか?」
 おそらくデータより詳細であろう知識に、感心すると同時にあきれる。カシムの雑学の深さには、アウリヤはいつも驚かされているのだ。
「いや、知り合いはいないよ。学生時代に歴史学の授業で扱った資料に、そう書いてあった」
 その資料がAD暦1000年頃の物語であることを知っていれば、カシムは考えを改めているかもしれないが。
「映像で確認するといい。確かファイルに前皇の画像が」
 カシムが捜し出したのは写真ではなく肖像画だったが、特徴を捉えるには十分だった。
 今は亡き女皇は、国花であるという八重桜の枝を抱えた姿で描かれていた。黒い髪と瞳、陶磁器のように白い肌、そして抱えた花のように華やぐ頬。確かにヨーコとの類似点は多い。
 アウリヤは痛むこめかみを押さえると、立ち上がって、考えをまとめるように歩き出す。
「現段階ではあくまで推論に過ぎないが、警戒するに越したことはないな。容姿が似ている以上、無関係だとしても旧サクヤからも現政権からも狙われる可能性は高い」
「と言って、彼女を視察から外してしまっては本末転倒になる、か。直接ヨーコに訊いてみるか?」
「仮に彼女が後継者だとしても、安全のために口は割らないだろう。それに、本人が知らない可能性もある」
「それはないのでは? サクヤ皇国にしてみれば、後継者としての自覚もない者を皇太子として迎えたりしないだろう」
「いや、旧サクヤの市民は指導者を求めているわけではない。彼らは皇家の血筋を独立の象徴として欲しているだけだ。そもそも、亡命して四十年も国を放って置いた者が統治などできるわけがない」
 お飾りになるだけならどんな後継者でも構わない。
「言ってみれば、肉皿の上のパセリだな」
 その例えに、カシムは思わず破顔一笑した。
「なるほど。無くては格好がつかないが実力は薄い、と」
「そういうことだ。まあ、とりあえずは最善を尽くそう。サクヤは関係なくとも、ヨーコは幼い娘二人の母親だ。気軽に命を落とせる我々とは違う」
 人生を仕事に捧げる自分達と、仕事と家族を両立する彼女は別次元の人間。二人にはそう思えた。
「そうだな。彼女にもそれとなく忠告しておいた方がいいかな?」
「いや、ヨーコには逆効果だ。私が最善を尽くす。命をかけて」
 軍事官とはそういうものだ、と言うと、苦笑される。
「前に何かの折に言っていたな。本当は外務官になりたかったんだと」
「子供時代の話だ。似合わないか?」
「さて、軍事官ではないアウリヤというのが、ちょっと想像し難い」
 アウリヤ自身でもそうなのだから、他人には尚更のことだった。
「しかし、それではなぜ軍人に?」
 理由については話していなかった。
 少し間をおいて、アウリヤは肩をすくめる。
「母親のせいだ」
 母のことは何も憶えてもいない。大した後ろ盾もない叩き上げの士官で、若くして中佐まで昇りつめて、最期は前線で死んだと聞いた。
「母である女性の遺言のトップ項目が、私が軍人になることだったんだ」
 記憶にない母。どのような人物で、アウリヤに対してどのように接していたのかも知らない、ただ血の繋がりだけの親。娘を施設に預けたまま、会いに来ることもほとんどなかった。
 それを恨みに思ったことは一度もないが、突然遺された母の意思に怒りを覚えた。
 放っておくなら最後まで放っておけばいいものを、今更何事だ、と。
 無視することは簡単に思えた。事実、アウリヤは士官学校へ進む気は毛頭なく、進路は外務系と決めていた。
 だが何の手違いか、なぜかアウリヤは士官学校に入れられていた。先に母親が手を回していたのかもしれない。
「目下の幸いと言うべきか、どう考えても私は外務官向きの性格ではないようだ」
「僕も同調する。君は外務官よりも軍人に適している」
 笑いながら断言して、カシムはコンピューターの電源を落とした。
「さてと。君の考え通りなら、直接カプセルを調べてみる必要があるな」
「ああ。任せて構わないか?」
「そのつもりだ。場合によっては、コールド・スリープの解除もありえるが」
 いくら搭乗員とは言えども、積荷に手をつけることは許されていない。場合によっては懲罰行為に当たる。
 カシムの無言の問いに、アウリヤは艦長として遂行を命じた。
「構わない。私が全責任を持つ」

 UE1412年、WINDシリーズ第二船『SALAH』、ゾディアック連盟所属国家ヴィルゴ北東部自治区コマ・ベレニケス第十三都市アスカに到着。
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