いにしへの奈良の都の八重桜

   今宵ばかりは 墨染めに咲け

Act.3

 アスカの荒廃ぶりは目に余った。かつて最も美しい都を自負した面影はどこにもない。
 灰色の街。
 色彩豊かだった土地に、その表現が定着している。
「無残な……」
 聞こえないほどの小さな声で、カシムがつぶやく。
 アウリヤはその言葉を肯定するように瞼を閉じ、移動用小型船の外に広がる色の無い世界から目を逸らした。
 見ているだけで気が滅入りそうだった。消し炭色と化した大木は、かつて都を彩ったサクラという木なのかもしれない。春告鳥の来なくなった荒れ野で、蕾をつけることもなく、孤独にたたずんでいる。
 墓場。
 そんな言葉が似合いそうな気がした。
 アウリヤの心の内が聞こえたかのように、カシムが再び口を開く。
「そう言えば、八重桜という花が旧サクヤの国の花だそうだ。資料によれば、その花にはこんな伝承があるらしい」
 彼の言葉を聞くともなしに聞いていたアウリヤだったが、次の言葉に顔を上げた。
「サクラの木の下には死体が埋まっていると、昔から言い伝えられているそうだ」
「死体か。サクラとは、この街に最もふさわしい木なのかもしれない」
 下手をすれば、自分達の墓標になるかもしれない木というわけだ。
 皮肉げに顔を歪めて、アウリヤは再び外を見やる。
 と、灰色の荒野を一瞬、真っ赤な鳥が過ぎ去った。
 いや、鳥ではない。ゾディアック連盟の最強軍事国家であり、赤い蠍を崇める国、スコルピウスの戦闘艇だろう。部外者の訪問を警戒して、威嚇のために飛んでいるだけだ。
 しかし、色のない世界に飛んだ血のような赤を、アウリヤは見過ごすことができなかった。
 不吉の予兆。
 柄でもないことが頭を過ぎた。振り切るように首を左右に振り、こめかみを押さえる。
 その仕草を疲れのためと見たのか、透き通るように白い指がアウリヤの手首に添えられた。
「脈拍が少し速い。それに肌も荒れてるわ。帰還したら、ゆっくりすることね」
 ヨーコの口調は有無を言わせない。私的休息をとるのをアウリヤが好まないのは、お見通しだった。
「了解、医務官殿。命令には従おう」
「よろしい。残る視察地は旧宮だけなんだから、頑張ってちょうだい」
 その旧宮が最も気をつけなければならない所だった。
 前で操縦しているシュリが、万が一に供えて、小型船のエネルギー残量をチェックしていた。
 アウリヤも腰の銃に手を伸ばす。白兵戦の舞台に立つ可能性など久しぶりだ。前回の任務ですらお目にかからなかった。もちろん、無ければそれに越したことはないのだが。
「シュリ、問題はないか?」
「はい。異常、欠陥共に認められません。間もなく旧宮上旋回に入ります」
「よし。ロス、応答しろ」
『――はい』
 スイッチを入れっ放しにしていたインカムから、程なく応答が聞こえる。
「予定通り、本機は旧宮中央庭園跡に着陸する。ロスは旋回を続けて上空待機。スコルピウスの部隊が我々を追って来ている。形ばかりになるが、牽制しておけ」
『予想通りってとこですか。了解』
 ロスの皮肉げな言葉に、同じく通信を聞いていたヨーコが首をかしげた。
「何故ヴィルゴの兵じゃなくて、スコルピウスなの? ヴィルゴにも軍隊はあるはずよ」
 『SALAH』がこの地にたどり着いた時、を宇宙港で出迎えたのは旧皇国の地を支配するヴィルゴの兵士達だった。
 アウリヤは再び外に目をやって、いまだに視界に入る赤い鳥にため息をついた。
「ヴィルゴにもいることはいる。しかし、優秀ではない。何せヴィルゴは頭が売り物の国だから、ゾディアックの軍備はほとんどがスコルピウスの傭兵部隊が頼りだ」
「私も聴いたことがあります。スコルピウスの兵は身体能力が高く、戦術にも長けていて、敵に回したくない候補ナンバー1だそうです」
 シュリの言葉は、多少の誇張はあるが事実だった。
 ゾディアック連盟の外にも知られるほど、スコルピウス兵の強さは名高い。先の大戦でも、連邦がかの国の傭兵部隊から受けた被害は甚大だった。
「奴らの恐ろしさは任務遂行能力だ。逃げることを知らないらしい。戦争が生活の手段であり、生活そのものなのだろう」
「少佐のようですね」
「ああ。……そうか?」
「そうですよ」
 若くて経験のないシュリには、自分の上官が鬼神に見えているらしかった。
 横でヨーコが、シュリを肯定するようにうなずくので、アウリヤは何とも居心地が悪い。
「スコルピウスの兵が出て来たとなると、ますます警戒が必要だな。奴らも皇国側の反抗勢力に気づいているわけだ」
 カシムの何気ないつぶやきに、他のクルーは身を引き締める。
 重要な戦闘地域にしか派遣されないスコルピウスの傭兵部隊が、ここにいる。
 それは、現政権側が過剰なまでにWINDプロジェクトのメンバーを警戒していることを表していた。
 彼らを下手に刺激するわけにはいかない。止むを得ず衝突するとしても、彼らの出番は後にしてもらわなければ、こちらの身が危ない。
 幸いなことに、小型船がゆっくりと高度を下げるにつれて、赤い戦闘機は見えなくなった。上空からの見張りに徹底するらしい。
 まとわりつくようなスコルピウスの兵の存在を気にして、視線を船外に飛ばして続けていたシュリだったが、敵が視界から消えたことで落ち着いたのか、船をゆっくりと窪地に着陸させた。
「こちら、シュリ。旧宮に到着しました」
『了解、俺も旋回に入る。さっさと荷物を渡して来てくれ』
 荷物、それは冷凍睡眠カプセルではなかった。
「これをサクヤに渡すのね。自分で取りに来ればいいのに」
 ヨーコが指したそれは、柄に唯一の装飾らしき細工がある剣だった。その材質は固く、滅びたこのアスカの街のように寒々しい色をしている。
「昔の資料によると、その剣は三宝の一つで、残りは鏡と石。その三つを持っていることが皇位の証だそうだ」
「剣と鏡と石が宝なの? 変なの」
 カシムの説明に、ヨーコは呆れたようにつぶやく。
「そう記されていたよ。地球時代からの遺物らしいから、歴史的価値があるのかもしれない」
 カプセルに入っていたのは、その剣だった。人体反応を示していた数値は元々プログラムされたもの、つまりダミーだったのである。違法ではあるが、カシムがカプセルの中身を確かめて、判明したことだった。その結果によって、アウリヤの推測は確かさを増した。
 今更ながら連邦当局に問いただしたくなったが、事情を知っているのはおそらくは上層部においてもほんの一部だけ。下手に騒いで情報が漏れたら、元も子もない。
 結局、カプセルは『SALAH』に置いて来た。持って来ても、邪魔になるだけである。
 剣はアウリヤが持ち運ぶことにした。幸い、軍人が正式な場で剣を帯びる礼儀が、連邦軍にないでもなかった。少々サイズが大き過ぎるが、礼儀作法である以上、敵も文句は言えない。
 もっとも、この剣がサクヤ皇国にとって皇太子判別の手かがりになるのかどうかは、あやしいところではあるのだが。
「シュリ、エネルギー散開システムを起動させろ」
 完全に停止した戦闘艇をロックしようとしていたシュリは、アウリヤの言葉に目を丸くする。
「帰りの燃料までなくなりますが」
「それでいい。本機はここに置き去りにして、帰艦はロス、迎えに来てくれ。この船はスコルピウスの連中が始末する」
「そうだな。奴らがコールド・スリープ・カプセルの情報をつかんでいれば、ここにカプセルがあるとにらんでいるだろうから」
 カシムの補足説明に、シュリは納得して、システムを起動させてからロックを掛けた。
 こうしておけば、爆撃されても燃料が連爆しないので、旧宮への被害は最小限に抑えられる。
「では行こう。ロス、後は任せる」
『はいよ、イェンヌ少佐殿』
 わざとめったに呼ばない上官の苗字を口にして、ロスは思いっ切りおどけて見せた。
 一人でスコルピウス兵に対峙しなければならないことに、恐怖を感じないわけではないだろう。しかし、それを決して見せはしない、頑固なプライド。
 やはり彼はアウリヤと同じ旧時代の遺児なのだ。
 いや、ここにいるクルー全員が勇敢な戦士なのだ。任務の為に命を懸ける、時代遅れの勇者達。
 一人も失いたくない。そのために自分が犠牲になったとしても……
 アウリヤの胸に、そんな思いが募った。
『さあさあ、ちゃちゃっと行って、帰って来て下さい。死なない程度に』
 ロスの気丈な声に促されて、思考を現実に引き戻す。
「心がけよう。ロスも下手に敵を刺激して、射落とされないようにな」
『了解』
 お互い茶化しながら、インカムのスイッチを切った。
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