いにしへの奈良の都の八重桜

   今宵ばかりは 墨染めに咲け

Act.4

 戦闘艇の扉が開いて行く。向こうに待つのは現政権の為政者達。
 その後ろにそびえ立つ旧宮に、誰が隠れ待っているのかはわからなかった。これまでの視察で、旧皇国側の接近はまだ察知できていない。
 自分の予測は外れたとは、アウリヤはまったく考えていなかった。
 ここが勝負処。ここでしくじることは許されない。
「旧宮視察を申請したのは、連邦側ですか?」
 ふと思い付いたように、シュリが尋ねる。
「いや、ヴィルゴ政府から組み込んで来た。それを連邦が喜んで承諾した。今までは立ち入り禁止区域だったから」
「それは妙な話ですね」
 シュリの疑問の通り、妙な話ではあった。WINDプロジェクトの本山である航宙産業局でも、何か悪意があるのではないかと議論が重ねられたらしい。
「徹底的な文化破壊を見せ付けて、連邦が手を貸したところで手遅れだと悟らせたい、というのが本部の見解だ」
 武力で抑えても、そこで生きてきた人間が存在する限り、過去はなくならない。唯一過去を抑える方法が、その地に固有の文化を奪うこと。
 ゾディアック連盟は本気だ。本気でサクヤ皇国を潰そうとしている。それほどの価値がこの国にあるのかは、アウリヤ達部外者にはわからないが。
「初めまして。ウインド・プロジェクト軍事司令官のイェンヌです」
「ようこそ、コマ・ベレニケスへ」
 双方冷淡な、しかし失礼のない程度にまとめられたあいさつ、そして握手。冷え冷えとした空気の中、最終地の視察は始まった。
 外と変わらない風景が見えるだけだった。
 色を失った城。主権を失った苦しみに満ちていながら、既にガラクタに近いほどの荒廃ぶり。骨組みだけが、過去の栄光を物語る。
 間もなく、小さな震動。それはすぐに大きくなり、足元を揺らした。響く爆音、金属を溶かす臭い、レーザーの反射光。それらは自然現象では有り得ない。
 起きていることなど、見なくてもわかる。先刻アウリヤ達を運んで来た船が破壊されたのだ。後から、もっともらしい言い訳を聞かされることになるのだろう。
 何事もなかったかのように、そしてアウリヤ達も何も気にしていないかのように、視察は淡々と進む。
 冷凍睡眠カプセル破壊を実行しても、護衛、と言うより見張りであり、牽制役を仰せつかっているヴィルゴの軍人達の緊張が解れる様子はなかった。敵も冷凍睡眠カプセルそのものが持ち運ばれる可能性は低いものと判断して、冷凍睡眠解除が行われたことは念頭に置いているらしい。
 直接手を出して来ないのは、視察メンバーが全員正規の搭乗員であるためだろう。サクヤ皇国の後継者が含まれていない場合、殺す理由がなくなってしまう。誰が皇太子なのかが知られていない現状では身の危険は少なく、ありがたい状況ではあった。もっとも、アウリヤにも誰が後継者なのか、わかっていないのだが。
 視察が進むにつれ、正に廃墟と呼ぶにふさわしい、ほこりの積もった沈黙の旧宮の奥へと足を踏み入れる。
 奇妙な場所だった。壁のほとんどない、吹き曝しの板間。どこからでも侵入できそうで、支配者が君臨する場所としては余りに無防備であった。
「アウリヤ、妙だ」
 カシムが耳元でささやいた。
「君主の居場所が重要視されていない」
 彼の言う通りだ。これでは前女皇が暗殺されたのも、他の皇族がこの世にいないのも、道理に思えてくる。
 では、なぜ今更のように皇朝の後継者を必要とするのか。この旧都を見れば見るほど、その理由が不鮮明なことに気づかされる。
 ゾディアック連盟側の警戒ぶりにも説明がつかない。
 皇朝の後継者の帰還は、ゾディアック連盟に対する蜂起が近いことを示す。だが、蜂起のリーダーは帰ってくる皇太子ではない。現政権であるコマ・ベレニケス政府にとって邪魔なのは、現時点での蜂起の指導者であり、象徴となるべく帰還する皇太子は、二の次に過ぎないはず。それなのに、なぜここまで危険視するのか。
 それに、仮にも連邦軍籍の船を破壊すれば、ただでは済まないことぐらいはゾディアック連盟もわかっているはずだ。真の後継者としての価値が薄い者を恐れる理由が理解できない。
 第一、これから起きるであろう蜂起が、独立に繋がるのかさえ怪しい。この貧弱な街に一体どれだけの力があると考えられているのか。
 懸念は深まるばかりだが、その解消はWINDプロジェクトの任務ではない。
 ただし、困った事態にはなっていた。
 旧宮の奥深くへと足を踏み入れても、未だ旧皇国側が接触を試みる気配は無い。残りは玉座の間、それで視察は終わる。
 玉座の間は古びた柱に支えられた空間だった。幕のような物で四方を覆われた中央奥以外は、何も置かれていない。
 ゾディアック連盟が手を下すまでもなく、そこは死んだ場所だった。誰も崇める者がいなくなったために放棄され、灰色に染まっている。
 前女皇が殺されたのも、この場所だったと聞く。
 案内役に許可をもらって、アウリヤは区切られた中央奥、玉座の空間に入り込む。皇国健在時なら即処刑ものの行為だろうが。
 そこもまた周囲と変わらない、沈黙に埋もれた場所だった。
 だが、よく見ると、最近付いたと思われる小さな跡が残されている。
「女か子供ね」
 傍から覗き込んだヨーコが、背後の案内役に悟られないように囁いた。
 それは小さな足跡で、子供か小柄な女性のものであると察しがつく。
 更に、この場所の奥から漂う、ほのかな匂い。それは花の香のようだが、より華やかで、しっとりと際立っていた。足跡の主は香水のような何かを我が身に、あるいはその衣装に焚き染めていたと考えられる。
 誰かがここにいた。そして、連邦からやって来る未来の君主の為にメッセージを残したつもりなのだろう。
 奥の簾は別の空間へと繋がっている様子。その向こうに、今は人の気配は感じられない。
「――カシム、後を頼む」
「了解した」
 息だけの会話。
 何もなかったかのように、カシムは穏やかな口調で案内役に話しかけ、帰り道を促すように、仲間に背を向ける。
 現政権の役人の意識は、自然とアウリヤ達から遠退いた。カシムが完全に玉座から離れたことで、それぞれが踵を返し始める。
 シュリが前面の幕を下ろしたのは、その直後だった。
 視界を遮られた役人達はとっさのことに対処できず、気づいた時にはアウリヤ、ヨーコ、シュリの姿は玉座にはない。
 青褪めて追おうとする者、混乱から醒めない者、反射的に銃をこの場に残った搭乗員に突きつける者。
 だが、カシムは冷静だった。
「視察を終了します」
 その言葉は、彼が外務官であることを否が応でも思い出させた。
 ゾディアック連盟は連邦と対等、あるいはそれ以上だと自負しているが、それは軍事面においてのこと。
 連邦の外務省はその追随を許さないやり手である。軍事官はともかく、外務官に手を出せば後々面倒なことになるのはわかり切っていた。
 案内役は苦渋の面で頷き、護衛についていたヴィルゴの軍人を追手に差し向ける。
 それを眺めながら、カシムは何食わぬ顔で玉座の間を後にした。
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