いにしへの奈良の都の八重桜

   今宵ばかりは 墨染めに咲け

Act.6

 蹴った足元から粉塵が舞い上がる。さっきまで同じ道をたどって来たはずなのに、突然視界が悪くなったように感じられた。それは、既にこの地下通路に多人数のスコルピウス兵が入り込んで、行動を開始した証拠だった。
 対毒ガスマスクでも持参するべきだったと唇を歪めて、アウリヤはスカーフで口と鼻を覆った。
 震動はなくなり、研ぎ澄ました聴覚に届くのは足音。リズムに狂いのない足並み揃ったそれは、紛れもなくスコルピウス兵のものだった。だが、予想していたよりも数が少ない。送られてきたのは、恐るべき戦闘能力を持つ彼らの内でも精鋭部隊なのだ。
 アウリヤは走りながら、銃を天井へと向けて、一発、二発と打ち込む。サイレンサー付きの銃は音を発さない。しかし、天井は脆く崩れ、ガラガラと音を立てて落下する。
「ここだ。お前達の敵はここにいる」
 聞こえるはずのない声を張り上げて、更にもう一発打ち込んだ。
 来い、ここへ。
 だが、さすがは暗殺集団とも言われるスコルピウス軍。アウリヤの挑発には乗らなかった。足音が二手に分かれ、一方だけがこちらへ向かって来る。
 アウリヤは焦りを覚え、思わず舌打ちした。
 すべて自分が引き受けて片付けるるつもりだったのに、これではヨーコやシュリを先に行かせた意味がない。
「行かせるものか!」
 一刻も早く自分に差し向けられた敵を戦闘不能にして、彼女達に合流するしかない。
 出逢ってからの撃ち合いでは、ただでさえ多勢に無勢で、勝ち目はなかった。アウリヤにはそんな無益な戦い方をする気はない。
 肩のバズーカ砲が最高出力にセットされているのを確かめて、アウリヤは気配のする方向の壁に、迷うことなく撃ち込んだ。
 内裏を支える土台でもある頑丈な通路壁、と言っても所詮は放置された廃屋。巨大なエネルギーを喰らって、あっけなく吹っ飛んでいく。その大きな破片達が行き着く先は、アウリヤが狙った敵兵達。
 確実に殺す必要はない。足止めができれば良いのだ。皇太子が旧国の人々のもとへと帰るまで。
 生き埋めを免れた数人からの追撃を避けながら、アウリヤはひたすら真正面での戦闘を拒み、陰からの殲滅を選択した。
 幸いと言うべきなのだろうか。かつてよりも、スコルピウス兵の質はかなり落ちているように思えた。
「連邦の平和外交も強ち無駄ではなかったか」
 複雑な思いでつぶやき、敵が残り二人になった時点で天井、つまり旧宮の床を落とした。
 そこへ、遠くで聞こえる銃声。
「ヨーコ! シュリ!」
 まずいことに、既に追いつかれて銃撃戦を開始したらしい。
 再び走って、走り続けて、突然柔らかな異物につまづきかける。
 反射的に銃を向ければ、それは先刻の少女の物言わぬ骸だった。色鮮やかな服に、白い肌に、不自然なくらい赤い血が溜まっている。
 だが、何も感じられなかった。死者に構っている余裕はない。アウリヤが守らなければならないのは皇太子であり、そして自分の仲間。
 遺体の周囲にヨーコとシュリの姿はなかった。スコルピウスの部隊の気配が、更に遠くへと移動して行く。
「頼む、何とか持ちこたえろ」
 追って追って、ようやくシュリの姿を発見したのは、大きな採光窓が取り付けられた、光にあふれた空間だった。
 だが、スコルピウス兵もまた、アウリヤの姿をはっきりと認めていた。すぐに嵐のような散弾をお見舞いされる。髪先を、肩を、足元を弾丸がかすめていく。
「少佐!」
「構うな」
 アウリヤは慌てなかった。援護しようとするシュリを制し、今度は敵を一人ずつ仕留める。一人、二人、三人と敵兵が倒れていくにつれ、冷静さが増していき、シュリとヨーコの状況を把握するだけの余裕すら生まれた。
 シュリもレーザー銃を手に、何とか格闘していた。しかし、射撃試験をトップで通過した成績は見る影もなく、あらぬ方向へと飛んでいる。
 むしろ、ヨーコの方が奮戦していた。医者だからだろうか、どこを狙えば効果的かを熟知している。侮れない。
 しかし、アウリヤの余裕は彼女に向けられた銃口の少なさのせいでもあった。スコルピウス兵の標的は、明らかにヨーコに絞られている。
 彼らの手の内に手刀を見つけ、アウリヤは短銃を捨てた。
 接近戦においては、銃を撃つよりも刃の方が速い。応戦を、と腰に手を当てて、自らの剣は船に置いてきたことに気づく。旧国が宝だと称する、あんな物を持ってくるために。
 わずかな逡巡の後、すぐに予備の短銃を構え、ヨーコを目指す敵を撃ち落とすべく、狙いを定めた。
 しかし、それで追いつくはずがなかった。
「ヨーコ!」
 必死で叫んだのと、ヨーコの漆黒の視線がアウリヤを射抜いたのは、まったくの同時だった。
 死への恐怖。そんなものはまったく感じていない目だった。
 ヨーコの視線に、不思議なくらい強い意志を感じさせられた。アウリヤが威圧されるくらいに強くて、そして温かな瞳。
 それに、ヨーコは何故か微笑んでいるような気がして……
 スローモーションのような悪夢だった。
 敵の刀が真っ直ぐにヨーコの喉を裂き、鮮血が噴水のように湧き出る。黒い瞳がカッと見開かれ、何か叫ぶように唇が開いて、それも力無く閉じられていく。
 すべてを見ていた。



 すべてを目にしていながら、アウリヤの体は戦いをやめることができなかった。軍人の性だったのか、それとも敵への憎悪だったのか。
「……少佐」
 遠くで誰かの声が呼ぶのが聞こえる。
 誰だ、ヨーコか。違う、知っている声だけれど違う。
「少佐!」
 シュリの声だった。アウリヤの腕にすがって、必死に止めようとしている。
 勝手に動いていた体が、突如魔法を解かれたかのように弛緩した。そして、手の内の銃が退却しそびれて逃げ惑う若い敵兵達を狙っていたことに気づく。
「……放せ」
 つぶやくように命じると、シュリは何も言わずに拘束していた腕を放した。
 アウリヤは周囲を見渡した。
 この地下空間において、今まで見て来た中では最も広い場所だった。亡骸が十数体転がって尚、広く感じられた。
 アウリヤ達が倒したスコルピウス兵とは別に、自然の緑のような美しい装束をまとった遺体があった。旧皇国の兵士達だろうか。そして、連邦側の唯一の死者であるヨーコ。
「……サクラか」
「えっ?」
 唐突につぶやいたアウリヤに、シュリが問うように応えた。
「シュリも聞いていただろう、カシムの話を」
 煙とほこりが舞い上がる灰色の嵐が次第に退いて行く。残るは足元を染める、血の錦。
「サクラの下には死体が埋まっている、か。俗説の理由など知らないが、間違いとは言えないようだな」
 切り裂かれた遺体の傍にひざまずき、赤に汚れた黒髪に触れる。白い素肌はまだ温かく、呼べば瞳を開けそうなのに、その可能性がないことを示す、真っ赤な錦。
 殉死の可能性がなかったわけではない。軍人として、それは受け入れるべき宿命。しかし、これは任務のための死ではない。
 ギリッと嫌な音がした。自分が奥歯を噛み締めた音だった。
 ヨーコをを守らなければならなかったのに。
 軍事官として医務官を、連邦の士官として皇国の継承者を、そして友人として、母という役割を持ったヨーコを守らなければならなかったのだ。
 何もできずに、彼女を見殺しにしてしまったのだ。
「……この国は、墓場だ」
「それでも、我らが愛する国にございます」
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