古の奈良の都の八重桜
今宵ばかりは 墨染めに咲け
Act.7
背後に気配を感じた。呼びかける声は随分としわがれているものの、重みを感じさせる。
感じたのは敵意や殺気ではなかったが、アウリヤは剣呑な目つきのまま振り向いた。
立っていたのは、声の主である白髪の老人だった。相当に年をとっている容貌ではあったが、姿勢の良さと全身にまとった気品はまったく損なわれていないように見えた。
その後ろに、今まで何処に隠れていたのかと思うくらいに多く従者達。その数の多さは、この老人が皇朝復活の指導者層であることをアウリヤに示していた。
アウリヤははっとして、腕の中の遺体を見つめた。
これだけの人数がいて、皇太子を見殺しにするはずがない。ヨーコではなかったのだ。そして、シュリでもない。彼らは苦戦するシュリのことも助けようとはしなかった。
それでは誰だ。一体全体、彼らは誰を待っていたというのか。
「ようやく、お逢いできました」
白い衣が血に染まるのも気にせずに、老人は杖と共に近付いて来た。 緋色の視線が睨みつけているのはわかっているだろうに、数歩しか離れていない所まで来て、ようやく立ち止まる。
「立ったままで御意を得ますこと、どうぞお許しを。私めは先の女皇の御世に仕えておりました、かつて紅梅の大納言と申した者にございます」
「コウバイノダイナゴン……」
既に命を落とした少女の言葉が脳裏に蘇る。あの子はこの老人の孫娘だったのだ。
口を開きかけたアウリヤを、老人は制した。
「孫娘のことは何も仰せになられますな。すべては覚悟の上にございます」
お忘れ下さいませ、と白い頭を下げる。
果たして、あの少女に老人の言うような覚悟ができていたのか。否、大役に頬を上気させていた幼い娘が自らの死など考えていたはずがない。祖父を名乗るこの老人の勝手な言い草に過ぎない。
アウリヤの心の中で、この国に対して薄々感じていた嫌悪がますます深まった。表情も一段と厳しく、憎しみすら帯びていく。
しかし、老人は気にも止めなかった。
「薄情とお思いでしょう。しかし、私はあなた様だけをお待ち申し上げていたのです」
「……私を待っていた?」
嘘だ。嘘でなければならない。
それでは、ヨーコはなぜ殺されたのか。いや、なぜ彼女がこの任務に配属されたのか。
「皇太子であらせられますあなた様を、我らは長年お待ち申し上げておりました。皇太子殿下、どうかサクヤの民をお導き下さい」
言葉を失う。
気を取り直すのに、かなりの間を置いた。
「ありえないことだ。私はガイアの生まれで、その出自は疑いようもない。第一、私が旧東アジア系でないことは、姿からして明白だろう」
一気にまくし立てて、息が上がる。
信じられない。信じたくない。
「あなた様の御父上が、先皇の甥であらせられます」
「……父のことなど知らない」
そう吐き出すのが精一杯だった。実際に知らないし、出生届にすら父の存在は示されていない。
「何一つ証拠はないだろう。私はこの国などと一切の関係がないんだ!」
否定したい一心で叫ぶ。
気迫に満ちた怒号にも、老人はまったく狼狽を見せなかった。
「あなた様の御名が示しておられます、アウリヤドラクノミヤ様」
逢里宿楽宮。
カシムに見せられた資料にあった、読めなかった名前が思い出される。
「あれがそう読むと……こじ付けもいいところだな」
「御母上からお聴きになっておられませぬか」
食い下がる老人に、アウリヤはついに激情を抑えきれなくなった。老人の胸倉をつかんで吊り上げる。
「母は幼い時に死んだ!」
連邦軍の軍人は多忙を極める。子育てができる者など、上層部かつ特権階級に限られる。だから、母親のことなどアウリヤはほとんど知らないし、話した記憶すらない。
「自分の生まれなど、知ったことではない。わからないのを良いことに、でたらめを言うな……」
言葉は次第に力を失い、目には涙があふれてきた。
もし老人の言うことが真実ならば、この任務は誰のために立てられたものだったのか。誰のせいで、ヨーコは殺されたのか。
ヨーコは知っていたのだ。自分が犠牲になるかもしれないということを。いや、間違いなく犠牲になるだろうということを。
彼女だけではないのかもしれない。スコルピウス兵との空中戦を覚悟して、一人外に残ったロス。外務官とは言え、敵の見張りに取り巻かれ、今どんなに危険な状況にあるともわからないカシム。そして、ここにも……
「知っていたんだな、お前も」
シュリは応えない。まだ幼いとも言える表情に、純粋なあどけなさはもう見られなかった。そこにいるのは、冷たい目をした若い軍人。
馬鹿みたいだ。自分を嘲笑いたくなった。
自分の実力に自信を持って、皆を守ったつもりだったのに、守られたのは自分の方なのだ。
もし、アウリヤが自分が皇太子だと知っていたら、他のクルーを決してサクヤへは近付けなかっただろう。単身帰還して、スコルピウス兵と一人で対峙して、死んでいたかもしれない。
それを防ぐための茶番がこれだ。こんな愚かな国のために仕組まれた芝居に、ヨーコは殺されたのだ。
アウリヤの腕から力が抜ける。
放り出された老人はその場にひざまずいた。
「殿下、どうぞ我らの上にお立ち下さい。サクヤ皇朝の復活を」
老人は白髪が血に染まるのに構わず叩頭する。
アウリヤは何も言うことができなかった。ただ自分が情けなくて、悔しくて。
「少佐、いえ皇太子殿下。どうかお聞き入れ下さい」
シュリの声だった。淡々としたそれは、重要な任務を負った軍人に相応しかった。彼女は密命を帯びて、それをターゲットである上官に決して悟らせず、他の同僚を犠牲にしてでも命令を遂行したのだ。
責めることはできない。ただ、ひたすら悲しい。
「わかって下さい。これが私達のすべきことだった。ヨーコも自分の派遣された理由は知っていました。ゾディアック連盟の狙いは自分に向かうだろうから、その隙に本物が皇位に就くのだと」
シュリは下を向いた。
泣いているのだろうか。泣いていなくても、せめて悲しんで欲しいと、アウリヤは思った。
「お願いです。彼女の、私達の意志を無駄にしないで下さい」
「違うだろう、お前達の意志とは」
連邦の、そして旧サクヤ皇国の思惑通り、ゾディアック連盟はヨーコに目を付けた。皇太子と目論んで始末した。そして、本物の後継者は今ここにいる。
「すべては上層部の手の内ということだ」
アウリヤは連邦軍の少佐。彼女の要請があれば、近辺に潜む連邦軍が現在のコマ・ベレニケス政府を武力で潰すことが理に適う。
軍人になれ、という母の遺言が本物であったのかは定かではない。だが、故意に士官学校への入学が決められたのは間違いない。長期間の冷凍睡眠を使用できるWINDプロジェクトの任務に就いたのも、もはや偶然では有り得ない。
「すべては仕組まれたことか。仕組まれた通りに、私は友を殺した」
抑揚のない声でつぶやく。静かに一歩、また一歩と踏み出して、平伏する老人の直前で止まった。
「この国は墓場だ」
老人の顔が上げられ、真意を問うように緋色の瞳を見上げる。
「その頂点には、人殺しがふさわしいか」
薄く笑みを浮かべた唇。しかし、炎の瞳は凍てついている。
アウリヤの静かな剣幕に押されることなく、老人は再び額を床に付けた。
「何事も、殿下の御心のままに」
アウリヤは固く目をつぶった。ここにいない同僚達の顔を思い浮かべる。
真っ先に浮かんだのは誰よりも信頼していた、いや、今も尚信頼するカシムの穏やかな笑み。彼がどんな思いで、かつての同僚を守る任務に就いたのか、その心は計り知れない。だが、彼ならきっとこう言うだろう。「君の成すべきことを」、と。犠牲の上に成り立った皇位に、嫌悪感を示しながらも。
ロスは皮肉に口を歪めるだろう。そして、「それが少佐の運命ってやつなんでしょう」と首を竦めるだろう。決してアウリヤを責めず、かと言ってかばいもせずに。
そして、ヨーコは……死の瞬間ですら強靭な意志を失わなかった、あの漆黒の瞳でアウリヤを見据える。「私が守ったのよ。望んでそうしたの。だから、あなたは後悔しないで」、と精一杯微笑むだろう。
彼らの思いを無駄にはできない。守られたのは自分なのだから。
「――シュリ、頼みがある」
姿勢を崩さないまま、冷えた声で命ずる。
「私の名で、軍部に連絡を」
それだけで、すべてだった。
決してシュリの方を見ようとせず、背を向けたままのかたくなな姿。
「……了解、しました」
敬礼、そして去って行く足音。瞳を固く閉じて、それらを気配だけで感じていた。
いくつかの声が聞こえる。「皇太子殿下万歳」、と。崩れた壁のあちらこちらから出て来て、叩頭する人々の気配もする。彼らが焚き染めた、むせ返るような香り。
しかし、何を以ってしても、立ち昇るような血の匂いを消すことはできない。
アウリヤは他の感覚もすべて閉ざした。
もはや何も感じられなかった。
今までの自分の人生が、そして他人の人生もまた、すべてが蜃気楼の彼方。すべてが春の夜の幻のように消えていくよう。そしてまた、音を立てて崩れていくようだった。
旧サクヤ皇国政府から連邦政府への助力要請があってから数日後に、ゾディアック連盟所属国家ヴィルゴに対しての宣戦布告が成された。
目的は独立。
サクヤ皇朝の後継者を名乗る者が形式上の指揮をとり、戦力の大半は連邦軍が受け持った。
根回しに根回しを重ねた外交政策も相成って、翌UE1413年にはヴィルゴと連邦・サクヤ皇国連合軍との間で和平条約が結ばれた。
その翌々年、ゾディアック連盟はサクヤの地から完全に手を引き、サクヤ皇国は再び独立国家となり、将来における連邦加入を約束した。
その数ヵ月後、アスカ旧宮跡にて追悼式典が行われたが、その場に次期女皇が姿を見せることはなかった。
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